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「鉄道廃線跡本」の編集者が語る大ヒットの秘訣

2月15日(土)5時01分配信 東洋経済オンライン

函館本線旧線の伊納トンネルの廃線跡(撮影:大野雅弘)
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函館本線旧線の伊納トンネルの廃線跡(撮影:大野雅弘)
 今から25年ほど前、廃線になった鉄道を訪ねることがブームになった。そのきっかけとなった本は『鉄道廃線跡を歩く』(JTBキャンブックス)。1995年に発行されると、鉄道分野の書籍としては異例の人気となり、シリーズ化が決定。続刊が2003年までに10巻発行された。「鉄道廃線跡」という着眼はどこから来たのか、ブームの実態はどのようなものだったのか、同書を生み出した編集者・大野雅弘さんに話を聞いた。

■出版のきっかけは「好きだから」
 ――『鉄道廃線跡を歩く』はどこから思いついた企画だったのですか。編集会議で企画は問題なく通ったのですか。

 「そんな本が売れるのか」、「だれが買うのか」と訝しがられ、反対された。鉄道ファンというのは、車両など生きている鉄道に興味があるのではないか、と。そこをなんとか説得して、発行の承認を得た。

 この企画を立てたのは、自分が鉄道趣味の1つとして、廃線跡にもよく行っていたからだった。もともと、SLが現役だった頃は車両の撮り鉄だったが、大学卒業前に最後の夕張線が蒸気機関車の通常運行を終了したのを機に、私もちょうど当時の日本交通公社に就職して大阪の支店勤務になったため、鉄道から離れていた。しかし、東京の出版事業局に転勤すると80~90年代に姿を消しつつあった電気機関車EF58のとりこになって鉄道趣味が復活し、その後も旧型客車などの写真を撮りに行く流れで、また廃線跡にも足を向けるようになった。
 ――発売後の反響は? 

 発売前から問い合せが多数入って、書店からの注文が殺到した。それまで類書があったわけではないが、書店は「これは売れそうだ」というような感覚があったのだろう。発売前に既に2刷が決まった。結果的に、1巻目は12刷までいった。

 鉄道ファンの中でも、鉄道史や保存車両などに興味のある人が動くことは予想していたが、それだけ売れたのは、一般の人がかなり買ってくれたからだろう。歴史に興味のある人、廃線になった鉄道にかつて乗っていた沿線住民、山歩き、ウォーキングするのに何らかの目的を探していた人など。それが、後の廃墟ブームにもつながっているのだと思う。
 ――紀行作家の宮脇俊三さんも執筆や監修をしていました。

 この本の前、1992年に宮脇さんは『失われた鉄道を求めて』という本を出している。鉄道ファンではあるけれど、マニアックな狭いところに入らず、鉄道の旅をとてもいいタッチの文章で書いていて、最初から一緒にやっていただきたいとお願いした。

 1巻目の夕張鉄道から、毎回取材には同行した。当初はまだお元気で、廃線跡で藪漕ぎをしたり自転車に乗ったりしていたのだが、次第に辛そうになり、最後の10巻目では北海道の狩勝峠旧線取材の予定を組んでいたが直前に倒れられ、私一人で撮影に行った。
 1巻目で評判を得たのを見て、宮脇さんから「大野さん、金脈を当てましたね」と言われたのを、よく覚えている。長い編集者としての経験から来る、感覚だったのだと思う。

■列車が走っていた往時を想像する

 ――何カ所ぐらいの廃線跡を掲載したのですか。

 1冊に60カ所載せているので、単純に計算して600カ所ほど。ただ、1つの路線でも区間を区切って何カ所も取り上げているところがある。

 鉄道が廃線になった理由には、大きく2つある。
 1つは、単純に利用客が減って赤字になり存続できなくなったもの。これには、輸送が鉄道から自動車に変わったからということも、地域の産業構造が変化したからということもある。

 もう1つは、近代化の過程で速さを求め、新しくトンネルを掘ったり、技術革新でスイッチバックなどしなくても峠を登れるようになったりして、新線を建設して不要になったもの。

 廃線になったところだけでなく、計画され建設が始まりながら途中で建設中止になって開業しなかった未成線もあった。
 ――大野さん自身で取材したのは何カ所ですか。

 どうしても行ってみたいところはほかの人に頼まず自分で行くようにしたので、50カ所ぐらいは行っただろうか。(笑)

 各巻、表紙の写真は自分で撮ったものを使っている。

 例えば、北陸本線の親不知(おやしらず)付近のルートが変更されて廃線になった区間。親不知という地名は、山から海に落ち込む切り立った海岸線の厳しい地形で、親も子も互いを気遣っている余裕がないほど自分が歩くのに必死という意味。その断崖に鉄道の線路を敷くという、「難所中の難所」の区間だった。
 親不知の海岸線にいくつもトンネルが続いていた箇所は、現在はトンネルを通り抜けることができないので、国道や遊歩道で遠回りしながらトンネルを確認していく。

 「このトンネルをC57に牽かれた旅客列車が、D50牽引の貨物列車が勢いよく飛び出してきた往年のシーンがよみがえってくる」と書いているように、列車が走っていた往時を想像しながら遺構を探すのが、廃線跡を訪ねる醍醐味だ。

 それには、鉄道線のある旧い地図と現在の地図を並べて旧線のルートを探る事前の準備が必要になる。実際に歩いて地形を見ながら、工事の困難さに思いをいたす。時には、その路線が敷かれた時代背景や地域の状況も調べる。そうした歴史をひとつ1つ紐解いていく楽しさが、廃線跡にはある。
 ――特に強く印象に残っている廃線跡は? 

 10巻目の表紙に写真を使った、函館本線旧線の初代伊納(いのう)トンネルは、思い入れの深い廃線跡の遺構だ。

 1898(明治31)年に建設された延長72.2mのトンネルで、伊納側出口の要石(かなめいし)に、当時の鉄道作業局の紋章である蒸気機関車の動輪がかたどられている。ここは石狩川の渓谷沿いの難所で最後にトンネルを開通させたことで小樽の手宮駅から旭川までが全通した、記念すべき象徴的なトンネルだったことを物語っているのだ。トンネル上部の帯石に記念碑的な扁額をつけているところはあるが、要石に装飾している例はほかに知らない。
 ここはその後2度新しいルートに変わって現在線になっているので、旧旧線と言える。

■鉄道廃線跡の現在は? 

 ――現在の鉄道廃線跡はどうなっているのでしょうか。

 廃線跡の土地は、所有権は各鉄道会社のものが多い。当時はおおらかで問題なく立ち入ったりできたが、現在では管理の問題で入れなくなっているところが多くなっている。トンネルが崩落するとか、軌道の地盤が崩れるといった危険性もあるので、仕方ないことだが。
 放置されて樹木が生い茂り自然に還る廃線跡がある一方で、整備されてハイキングコースや遊歩道、車道、サイクリングロードなどに再利用されているところもある。トンネルは、ちゃんと整備するかふさぐか、どちらかだ。ワインの貯蔵やきのこ栽培の施設に活用されているトンネルもある。

 廃線跡にたくさんの人が訪れたことで、それを積極的に地域振興や観光に生かそうというところも、わずかだが出てきている。

 山の中の森林鉄道などだと、そのまま登山道になっていて、無造作にレールが傍らに積んであったり犬釘が落ちていたりするようなこともある。
 駅舎などは、本の取材当時にはあったが失われているものが多い。その一方、保存されて資料館などに利用されているものもある。

 時が経てば変わっていくのは当然だが、鉄道の記憶が残るような活用の仕方をされるとよいのだが。

 ――『鉄道廃線跡を歩く』も含めて、編集に携わった鉄道本は何冊ですか? 

 ちゃんと数えたことはないが、JTBキャンブックスだけで約150冊。隔週刊で発行した『にっぽん列島鉄道紀行』が30巻。ほかにも単行本や写真集、ムックなどもあるので、250冊超だろう。
 主に鉄道書の編集をしていたのは1992~2015年なので、平均して年間20冊くらい作っていたことになる。

 ――鉄道ファンの動向は変わりましたか。

 最近の鉄道ファンの傾向は、目の前に走っている車両をただ撮影するとか、全線乗りつぶすとか、それぞれ1つのことだけで完結してしまっているようだ。車両に興味のある人も、新型車両を追っかけて写真を撮ってくるだけで、そこから発展することがない。専門特化しているといえばそうなのだが。
 まして、自分の目的だけに目が行って、問題を起こしたりするのは嘆かわしい。かつての鉄道ファンは、好きな車両の姿を残したいから写真も撮るし、時刻表や鉄道史も研究する、橋梁やトンネルなどの構造物に興味を持つ、切符を収集する、といった具合に、多ジャンルに興味を持った。複合的に捉えていると、それが有機的に結びついて、いろいろなことがわかってくる。そういうところに、楽しみを見いだしていた。

 歴史に関心を持つ人が少なくなっている。ローカル線で蒸気機関車や旧い車両を走らせているところがあるが、それを楽しむ年齢層は高い。鉄道の発達の歴史は、常に技術革新と共にある。また、鉄道の利用の仕方は、社会や経済を反映させている。それを紐解いていく、研究のおもしろさを求めないのは残念だ。
 さらに、調べるにしても文献に当たらない。何でもネットで調べられると思っている人が多いが、ネットで得られる情報は、ほとんどがどこかからの孫引きか、主観だ。それを引き写してくる間に間違いが起こり、ある人の感想が真理のようになる。さらにそれを調べもせずにまた引き写すことで、やがて間違ったことが正当化されて定説のようになってしまう。本に印刷されたものでも間違いはあるが、インターネットの比ではないことを、強く意識しなければならない。
■今後はどんなブームが来る? 

 ――今後、廃線跡に続くような鉄道趣味のブームのようなものはあるでしょうか。

 島根県の江津(ごうつ)と広島県の三次(みよし)を結んでいた三江(さんこう)線が2018年に廃止される前に乗りに行ったとき、中年女性3人と同じボックスに座った。彼女たちは、沿線に住んでいるが普段は自家用車ばかりを利用するので、三江線に乗ったのは初めてだという。地元を走っていた鉄道だが、もうなくなってしまうというので乗ってみようと思い立って来たという。車両を見渡してみても、そのような人がほとんどのようだった。
 鉄道廃線跡がブームになったのは、鉄道ファンだけでなく一般の人が動いたからだったが、ウォーキングなどの日常の趣味と鉄道への興味が結びつく接点を見つけるのは難しいのではないか。
柳澤 美樹子 :りゅう文章工房代表

最終更新:2月15日(土)7時07分

東洋経済オンライン

 

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