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そこまでやるか!京急ミュージアムのこだわり

1月22日(水)5時25分配信 東洋経済オンライン

修復した「デハ230形デハ236号」は京急ミュージアムの展示の目玉だ(記者撮影)
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修復した「デハ230形デハ236号」は京急ミュージアムの展示の目玉だ(記者撮影)
 京浜急行電鉄が1月21日、横浜・みなとみらい21地区の同社グループ本社に「京急ミュージアム」を開設した。同社は2018年に創立120周年を迎えたのを機に数々の記念事業を展開してきた。歴代塗装を再現したラッピング電車の運行や、グループ社員が田植えから酒造りまで携わった「京急オリジナル日本酒」の販売と、その内容はさまざまだ。

 同社初となる企業ミュージアムは、昨年9月に東京・高輪から本社機能が移転してきたばかりの新社屋の1階にオープンした。創立120周年記念事業の集大成ともいえる。
■“本物”が体験できるミュージアム

 ミュージアムの中央に位置する巨大ジオラマは、京急蒲田駅や三崎口駅といった主要駅や、京急油壺マリンパークなど沿線風景を再現。その中を走るHOゲージの車両模型は、先頭に付けたカメラの映像を見ながら運転台で操作することができる。

 同社の主力「新1000形」電車の運転が体験できる「鉄道シミュレーション」は実写映像と本物の運転台を使用している。オリジナルデザインのプラレールを制作する「マイ車両工場」のコーナーも設け、小さな子どもでも体験しながら鉄道の仕組みを学べる仕掛けを用意した。体験コンテンツは有料だが、館内への入場だけなら無料だ。
 館内で圧倒的な存在感を放っているのは、ピカピカの赤い塗装が目を引く歴史的車両「デハ230形デハ236号」。まさにミュージアムの主といった貫禄だが、ここが安住の地と定まるまでには、同社関係者の並々ならぬ時間と労力が費やされてきた。

 デハ230形は、1929(昭和4)年に京急電鉄の前身の1つ、湘南電気鉄道の「デ1形」として製造され、翌年に営業運転を開始した。軽量で丈夫な車体や大きな窓などが特徴で、当時の最先端の技術を採用。品川―横浜―浦賀を直通する、現在の京急の高速運転の礎を築いた「関東の名車」だ。郊外を走るだけでなく地下鉄への乗り入れまでも想定していたという。
 このうち「デ6号」として生まれた236号は48年間にわたって活躍し、1978年の引退後は埼玉県川口市の青木町公園で屋外展示されていた。長く地元住民に親しまれていたが、展示場所には雨風をしのぐ屋根もなく、塗装がはがれるなどの老朽化が深刻になっていた。

■埼玉から横浜へ里帰り

 そこで2016年に川口市が譲渡先を公募、京急が引き取ることに決まり、翌年5月に陸路で輸送されて横浜へ38年ぶりに里帰りした。車体は横浜市の総合車両製作所、台車やパンタグラフは横須賀市の京急ファインテック久里浜事業所で修復作業が進められた。
 外観はかなり傷んでいたが、修復前の車体を確認した同社OBは「たしかにちょっとショックだった。でも乗務員室とか床下はきれいで、全部部品もそろっていた」「部品は状態がよかった。あんなにきれいに残っているとは思わなかった」との感想を抱いたという。

 京急は230形が里帰りしたばかりの2017年5月、鉄道フェスタの中で川口市の関係者を招いて「引継式」を開催するなど、折に触れて修復プロジェクトを盛り上げた。引継式に出席した電鉄OBは「新人の頃は立て続けに停止位置を行き過ぎてお客さまに怒鳴られた」「230形は運転士の感覚で操作する京急車両の原点」といった運転経験者ならではのエピソードを披露した。
 修復にあたっても京急OBの豊富な知見が生かされた。ミュージアムを含む本社移転プロジェクトの担当だった営業企画課の飯島学さんは「デハ230形の木の床をメンテナンスした経験があるOBがいなかったら直せなかったかもしれない。修復を通じていろいろなノウハウを若い世代に伝えることは、いざというときに役立つはずだ」と語る。

 総修復作業時間は約9800時間、作業員数は約100人にのぼったという。

■随所に「本物」へのこだわり
 修復されたデハ230形をはじめ、京急ミュージアムには鉄道の現場から寄せられた「本物志向」が随所に詰め込まれている。

 例えば230形が乗っているのは、現在同社で使用していない「37(さんなな)」と呼ぶ1m当たりの重さが37kgのレール。「230形には37でないと似合わない、という保線担当の強い希望があった」(飯島さん)という。バラスト(砕石)は「新品でも角が取れすぎていても格好が悪い」と営業線から回収して持ってきた。電力区の社員が2日かけて張った架線は、2本の電線を一体化させた京急特有の「合成電車線」となっている。
 「ジオラマは、実際はありえない信号現示は出ないようにしてある。例えば『YGフリッカー信号』は2本連続することはない」。こう説明するのはミュージアムの館長に就任した佐藤武彦さん。「電車が大好きで運転士になった」といい、京急久里浜駅の駅長を務めたベテランだ。入社はデハ230形が引退した1978年。「デハ230形のさよなら運転の日は雨だったと思う。堀ノ内の駅で写真を撮った」と当時を振り返る。

 ミュージアムに携わった現場の部署やジオラマ製作会社の本物へのこだわりは、人一倍鉄道愛が強いはずの佐藤さんや飯島さんでも「そこまでやる?」と驚かされることがしばしばあったようだ。
 ミュージアムがオープンした「1月21日」は、京急の起源となった大師電気鉄道が開業したのが1899年1月21日で、そこから121周年であることにちなんだ。

 大師電気鉄道がその後、京浜電気鉄道と名前を変え、1931年に湘南電気鉄道とつながったのが横浜の地だ。当時活躍したデハ230形を修復することは、昨年横浜に本社を移転した京急にとって象徴的な意味があった。同社の原田一之社長は「外から見える赤い電車でここが京急の本社だということを横浜市民に一目でわかってもらいたい」とデハ230形の新たな役割に期待を込める。
 みなとみらい地区は、かつて広大な空き地が目立っていたが、この数年でいくつもの大手企業が拠点を構えるようになった。その中にはミュージアムを併設した施設もある。原田社長は「周辺のミュージアムと合わせて巡ってほしい。保育所の園児のお散歩コースとしても立ち寄ってもらえれば」と話す。

 京急グループ本社の周辺には日産グローバル本社ギャラリーや、資生堂が運営する「S/PARK(エスパーク)ミュージアム」、原鉄道模型博物館、横浜アンパンマンこどもミュージアムがある。少し距離はあるが、三菱みなとみらい技術館、カップヌードルミュージアムといった企業系のほか、横浜美術館、帆船日本丸・横浜みなと博物館も徒歩圏内。みなとみらい地区はいまやミュージアムの一大集積地となっている。
■オープン当初は入館制限も

 京急ミュージアムはオープン当初、混雑を見越して入館制限を実施する。2月24日分までの事前募集はすでに終了しているが、応募状況はかなり好調だったようだ。

 実際のところ館内は、見学して回るだけならばすぐに時間を持て余してしまいそうなほどコンパクトな印象だ。だが、同ミュージアムは「『本物』を見て、触れて、楽しむ」がコンセプト。展示の一つひとつに込められた、京急ならではの本物へのこだわりを知ることができれば、時間が経つのを忘れてしまうかもしれない。
 とはいえ、全国各地にある企業ミュージアムの中には、展示内容に変化がなく、訪問者がまばらになってしまった例もあるだろう。飯島さんも「作りっぱなしではダメで、何か変えていく工夫が必要だということはひしひしと感じる」と話す。今後はほかのミュージアムとの連携や企画展の開催などを検討していく考えだ。

 原田社長は1月21日のオープニングセレモニーでのあいさつで「さまざまな展示や体験で多くの人たちに楽しんでもらえる施設を目指している。お子さまの大きな笑い声がみなとみらい地区に響き渡るようなミュージアムにしたい」と強調した。
 かつてボロボロだったデハ230形はOBをはじめとする多くの関係者の知見を生かして新車同様の姿によみがえった。車両の修復で得たノウハウをさらに次の世代に引き継いでいくためにも、将来を担う子どもたちが何度も訪れたくなるようなミュージアムに育てていくことが肝要だ。
橋村 季真 :東洋経済 記者

最終更新:1月22日(水)16時02分

東洋経済オンライン

 

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