ここから本文です

イスラム教徒に忖度する「インドネシア」の憂鬱

12月2日(月)6時10分配信 東洋経済オンライン

約580の言語、文化を持ち、約300の民族が暮らすインドネシアが岐路に立たされている(写真:HIT1912/PIXTA)
拡大写真
約580の言語、文化を持ち、約300の民族が暮らすインドネシアが岐路に立たされている(写真:HIT1912/PIXTA)
 11月12日、インドネシア・ジャワ島のジョグジャカルタにあるバントゥル県マンギル・ロル村でのことだ。仏教徒が約50人集まり信者の自宅で仏教行事を行っていたところ、周辺に住むイスラム教徒約100人が押しかけて行事の中止と参加者の解散を求めて騒ぎ始めた。

 駆けつけた警察官らは騒ぎを鎮めるのではなく、仏教徒の住民に対して「行事の即刻中止と解散」を要求した。理由は「周辺住民の動きをコントロールできず、混乱が生じる危険があるため」と説明したという。
■国是は「多様性の中の統一」

 同県カレット村では4月にはキリスト教徒の住民が新たに転入しようとしたところ、地区の代表から「この村はイスラム教徒の村であり、異教徒は住むことが許されていない」として拒否された。

 実は同県でこうした事態が起こるのははじめてではない。過去にはイスラム教徒住民がキリスト教地区指導者に指名された信者を拒否したり、新たに建設される仏教施設やヒンドゥー教施設に対して反対運動を起こしたりと、対立が続いていた。こうした事態は首都ジャカルタ近郊など各地でも増えており、インドネシア全体を覆う重苦しい空気を反映している。
 人口世界第4位、そしてその88%という世界最大のイスラム人口を擁する東南アジアの大国インドネシアが今、大きく揺れている。約580の言語、文化を持つ約300の民族が統一国家としてまとまるために、初代スカルノ大統領が掲げた国是が「多様性の中の統一」であり、キーワードは「寛容性」だった。

 しかし、ジョグジャカルタ・バントゥル県の例のように最近のインドネシアは宗教的、民族的、性的とあらゆる社会的少数者に対する差別、迫害、排除が頻発。警察ですら公正な捜査を避ける傾向にあり、社会全体がそれを黙認する雰囲気が強まっている。宗教的に圧倒的多数であることに由来する「イスラム教規範の暗黙の優先や強制」と、それを「忖度(そんたく)する少数派」という構図が多民族国家の姿を歪めているともいえる。
 インドネシアでは大統領や閣僚、国会議員、実業家、研究者などが演壇でスピーチや演説を始める際のあいさつとして定型となっている冒頭の言葉がある。

 イスラム教の「アッサラーム・アレイクム(神の平和を)」という言葉に続いて、「シャローム」(キリスト教)、「オーム・スワスティアスタ」(ヒンドゥー教)、「ナムブダヤ」(仏教)と各宗教の言葉を口にし、それから本論、本題に入っていくのだ。

 これは、憲法の前文に記載されている国家5原則である「パンチャシラ」に「唯一神への信仰」と規定されながらも、イスラム教を国教とはせずに他宗教も認めていることに由来している。
■大統領の見解は? 

 しかし、この言葉に対してイスラム指導者組織である「ウラマ評議会(MUI)」東ジャワ州地方支部が11月8日、イスラム教徒が異教徒の言葉を使用するのは「宗教上ふさわしくない」として、特に公職にあるイスラム教徒に対して異教徒の言葉を慎むよう勧告。MUIはマアルフ・アミン副大統領が要職を務めたこともあるイスラム保守派の組織で、その影響力は大きい。

 これに対してインドネシア最大のイスラム教団体で、穏健派の「ナフダトールウラマ(NU)」東ジャワ支部が即座に反応。イスラム教徒が異教徒の言葉を使用してあいさつをする習慣について「特に問題ない」との立場を明らかにした。
 だが、これは「禁止もしないが推奨もしない」という姿勢で、宗教的少数派とイスラム教徒双方に気を遣った玉虫色見解といわれ、穏健派ですら忖度(そんたく)をせざるをえない実情を反映したものといわれている。

 一方、ジョコ・ウィドド大統領は、依然として演説をこれまで通りの4宗教の言葉から始めている。穏健派といわれるイスラム教徒や、若い世代の間でも「自分が言いたいのであれば、自分の宗教の言葉だけでなくてもいいのではないか」と冷めた見方が多く、躍起となっているのは一部のイスラム急進派だけのようだ。しかし、そうした一部が大半に化けてしまう恐ろしさが今のインドネシアには潜在しているのだ
 性的マイノリティーや障害者に対する寛容性も低いままだ。インドネシア検察庁は11月中旬、同庁による新規職員採用に関する採用基準で「性的少数者(LGBT)と心身障害者は応募資格がない」ことを明らかにした。

 「社会的差別助長ではないか、機会均等に反するのではないか」との指摘に対して最高検察庁報道官は「それぞれの役所には職務遂行に必要な基準というものがある。LGBTは精神的障害者といえ、本庁は普通の人を採用対象としている」と堂々と公言。インドネシアではLGBTは精神的な病と一般的に解釈されていることが背景にある。
 これに対して政府や議会、大半のマスコミも一部のリベラル派だけが反論しているものの、大半は問題視していないという実態がある。これまで貿易省など他省庁でも同様の採用基準を設けていたが、社会的批判を受けて現在はすでに撤廃されている。

■一部地域では同性愛行為は禁忌

 現在では検察庁だけが堂々と公言している差別だが、採用実績では依然として各省庁、警察や軍といった治安組織、地方公共団体などでは、性的少数者や障害者に対する差別は厳然と存在しているとの指摘もある。
 イスラム教徒の若者の中には、高学歴者であっても「LBGTは病気であり、そうである以上治療が必要」と公言してはばからない人もいる。日本企業に務めるインドネシア人男性のLBGTへの露骨な差別から、日本人妻と夫婦喧嘩になったという家庭もある。

 インドネシアで唯一イスラム法が適用されているスマトラ島北部のアチェ州では、同性愛行為は禁忌で、発覚した場合は公衆の面前でのむち打ち刑に処される。イスラム法が適用外のインドネシアのほかの地域でも、同性愛者は差別と侮蔑の対象となっている。それは圧倒的多数のイスラム教徒が信じるイスラム法がそう規定しているから、という理由である。先の日本人女性の夫も、イスラム教徒であることが思考の源泉になっているといえる。
 こうした公的機関の差別は女性にも及んでおり、未婚の女性警察官の採用に当たっては国際的な人権団体や女性組織からの批判を受けて表向きは中止されたといわれているが、依然として「処女検査」が密かに実施されているとされる。その理由は「犯罪を取り締まる立場の女性警察官が未婚で性的関係を持つことは問題であり、ふさわしくない」からだとされている。

 こうした不寛容性が広がる中、インドネシアの若い世代にとっては、12月のクリスマスは悩ましいイベントである。イスラム教保守派は「イスラム教徒がキリスト教の行事であるクリスマスを祝うことは許されない」との立場を明らかにしているからだ。
 日本のようにクリスマスは宗教に関係なく祝う習慣が若い世代で広まっているインドネシアだが、イスラム教徒の若者はキリスト教徒の友人に「メリークリスマス」というあいさつをしたり、クリスマスカードを送ったりすることも躊躇せざるをえなくなっているのだ。

 ジャカルタ中心部の大型商業施設にある外国資本のケーキ店は12月を前に「当店のケーキにはクリスマスや旧正月を祝う言葉を書くことはできかねます」との掲示を出した。
■大人になるにつれてイスラム教徒の意識が強まる

 同店によると、製造販売しているケーキ類はイスラム教徒でも食べることができるように「ハラル認証」を受けたものであり、そこに「イスラム教以外の宗教の言葉を書くことはできない」というのだ。これにはハラル認証団体やイスラム教組織もすぐに反応。「ケーキの上の異教徒の言葉まで制限などしていない」と問題がないことを表明する事態となっている。

 クリスマス時期はクリスチャンにとっても悩ましい。親しいはずのイスラム教徒の知人に例年と同じようにクリスマスの言葉やお祝いをメールしたりすると、突然返信が来なくなったり、「私はイスラム教徒で、クリスチャンではない」といった言葉が返ってきて、友人関係に亀裂が入るといったことがあるという。
 中学、高校と進むに従って特にイスラム教系の教育機関では、そうした「イスラム教徒としてあるべき姿」が教えこまれて「クリスマスを祝うべからず」が浸透することで友人関係にも変化が出る結果になっている。

 「そんなの関係ない」と言っていたイスラム教徒の若者も、成長するにつれて社会の大勢に抗する意欲を失い、学校や職場そして家庭などの「イスラム教優先」の渦の中に巻き込まれていく。イスラム教徒はイスラム教の催事、イベント、行事にのみ従うようになっていくのだ。
 こうした行きすぎたイスラム教配慮や忖度(そんたく)も、イスラム教徒による暗黙の優先や強制を助長する結果を招来しており、インドネシア全体にイスラム教が国教化しつつあるといえるだろう。
大塚 智彦 :フリーランス記者(Pan Asia News)

最終更新:12月2日(月)6時10分

東洋経済オンライン

 

【あわせて読みたい】

【PR】Yahoo!ファイナンスからのお知らせ

Yahoo!ファイナンスからのお知らせ

平均年収ランキング

1. (株)キーエンス 2,110万円
2. GCA(株) 2,063万円
3. (株)三菱ケミカルホールデ… 1,738万円
4. ヒューリック(株) 1,636万円
5. 三菱商事(株) 1,607万円
6. TBSホールディングス 1,586万円
7. 伊藤忠商事(株) 1,520万円
8. 日本商業開発(株) 1,501万円
9. ソレイジア・ファーマ(株) 1,460万円
10. 三井物産(株) 1,430万円
もっと見る

【PR】Yahoo!ファイナンスからのお知らせ

ヘッドライン