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日本が及ばない「シンクタンク超大国」の実像

10月19日(土)7時00分配信 東洋経済オンライン

シンクタンクが重要な役割を果たしているアメリカの政権だが、近年の動きを帝京大学法学部准教授の宮田智之氏(右)にお伺いした(撮影:尾形文繁)  
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シンクタンクが重要な役割を果たしているアメリカの政権だが、近年の動きを帝京大学法学部准教授の宮田智之氏(右)にお伺いした(撮影:尾形文繁)  
シンクタンク・パワーと政策起業力のフロンティアと日本の課題を、シンクタンクや大学、NPOの政策コミュニティーの現場で活躍している第一線の政策起業家たちと議論する本連載。連載15回目は、帝京大学法学部准教授の宮田智之氏との対談後編をお届けする。
 船橋洋一(以下、船橋):アメリカがシンクタンク超大国となった要因には、1930年代からの政治任用制と富裕層の支援に加え、1960年代からの保守派の台頭とそれに対するリベラル派の巻き返しがあった、というのが前回のお話でした。
 一方で、もう少し、シンクタンクが生まれる背景を俯瞰してみると、そこには、戦争や経済恐慌といった国家レベルの危機があるような気がします。そういうときに、それまでの政策体系や理念、その担い手に対する疑問が吹き上がって、代案を出そうという動きが出てくるのではないかと思うのです。

 アメリカのシンクタンクの老舗中の老舗のカーネギー国際平和財団の創設は第1次世界大戦前夜ですし、ブルッキングズ研究所は大戦中に設立されています。そこでは戦争と平和の研究が中心で、それに加え、資本主義や政府と市場の適切な関係、社会保障制度のあり方などがテーマとなりました。そのような大きな背景があるのではないかというのが、私の仮説というか印象ですが、いかがですか。
■国家的危機に対応してきたシンクタンク

 宮田智之(以下、宮田):おっしゃるとおりだと思います。国家的な危機や大きな課題が生じたとき、それに対応するために、いくつかの研究機関が生まれています。とくに20世紀初頭から1950年代、60年代にかけて創設されたシンクタンクは、危機対応型、課題解決型と分類できそうな研究機関でした。そして、コロンビア大学の総長がカーネギーのトップになるなど、シンクタンクには当時の英知が結集していました。
 では、なぜ、日本においては同様の試みがなかったのか、あるいは、少子高齢化を起因とする構造的な経済不況や、破綻寸前の社会保障制度といった危機を迎えている現代に至ってもなお、そのような社会の英知を結集したシンクタンクを創設する試みがみられないのか、私には疑問です。

 船橋:第1次大戦後には、石橋湛山が東洋経済新報社社内に太平洋問題研究会を設置してアジア太平洋の秩序構想を提言したり、関東大震災後に後藤新平が東京市政調査会というシンクタンクを作って、防災都市、今でいうレジリエンス都市を構想したりと、萌芽的な動きはありましたが、定着はしませんでした。それはやはり、エコシステムの問題なのでしょうか。
 宮田:そこは大きいと思います。

 船橋:この対談のシリーズでも何度も話してきましたが、大統領制と2大政党制のアメリカでは、4年に1度、政策市場と、それを提供する政策スタッフの労働市場が生まれます。つまり、リボルビングドアが回り出すわけですが、しかも、解散総選挙というのがありませんから、4年間を見据えて、政策も、それぞれのキャリアも設計できます。これ、結構大きな要因だと思いますが、いかがですか。

 宮田:4年に1度、大統領選挙という大きな政策市場が開き、そこに向けて準備をする、それがアメリカのシンクタンクのダイナミズムを生み出している要因の1つであることは間違いないと思います。予備選挙が始まる1年以上前から、水面下では、有力候補と見られる人々への接触が始まります。その大半はシンクタンクの研究員ですから、それを見ているとシンクタンクの存在感を改めて感じます。
■国際政治の舞台

 船橋:もう少し背後に分け入って、なぜアメリカのシンクタンクは強いのか考えてみたいと思います。強さの一つは、シンクタンク自身が、ある意味では国際政治の中のプレイヤー、あるいは、プレイヤーとまではいかないまでも、アクターとなっているところにあるのではないでしょうか。

 ワシントンのシンクタンクは、まさに国際政治の舞台と化していますね。さまざまな国の首脳や高官が、メッセージを発信したり、影響力の行使を試みたりしようとするとき、シンクタンクに接触するのは日常的光景です。首脳がシンクタンクで重要な発表のスピーチをしたり、あるいは、ある特別な研究のためにファンディングを申し出たりします。各国政府ともありとあらゆる形で、アメリカのシンクタンクへの接近を試みています。また、そういう活動が、公共外交の1つともなっており、それが、またワシントンの有力シンクタンクの力になっている側面があります。
 さらに、シンクタンク自体が、アメリカ政府の先回りをして諸外国と接触し、自らの政策や、あるいは政府の政策の実現のために動く場合もあります。それは、まさしく国際政治のプレイヤーということだと思いますが、どのようにご覧になられていますか。

 宮田:ご指摘のとおり、アメリカのシンクタンクは公的な外交の舞台の1つになっています。各国の政府は、アメリカのシンクタンクが提示する政策のアイデアをつねに注視しています。無視できないわけです。シンクタンクの発信力やネットワークの力を重視して、積極的に接触しているというのが現状です。その意味では、これもご指摘のとおり、アメリカのシンクタンクは国際政治の無視できないプレイヤーです。
■シンクタンクの人材育成力

 船橋:その発信力ですが、最近では、テレビも新聞もネットも、何か問題が起こったり、新しい政策が公表されたりすると、シンクタンクの研究員にコメントを求めるのが一般的です。そこにも、シンクタンク間の競争はあるわけですが、政策を説明する際に、専門の言葉ではなくて、一般の人にわかりやすく説明できる人のコメントが使われます。それが、一般の人々の政策リテラシーを高めるうえで役に立っている側面もあります。
 政治家には、そうしたセンスを持っている人はいますが、政策を職業とする学者や研究者でそういう才覚のある人はそうは多くないのではないでしょうか。これはというシンクタンクは、そうしたセンスに優れた研究者をメディアに出そうとしています。

 宮田:確かにそうですね。翻訳能力と言いますか、専門的な知識を一般の人にわかりやすく伝える能力が非常に優れているのは間違いないと思います。

 そうした人材に恵まれている理由の1つは、アメリカのシンクタンクが、若手をどんどん取り込んで、自ら育成しているからです。インターンシップやフェローシップなどで、大学院を出たばかりの人材を鍛え上げていくシステムがあります。アメリカにはその伝統があって、例えば、ネオコンの代表的人物の1人で、ブッシュ政権で国防政策諮問委員会委員長を務めたリチャード・パールは、学生時代にシンクタンクで、冷戦期の対外政策形成に深く関わったポール・ニッツェの薫陶を受けています。若手が著名な専門家の間近で学びながら政策リテラシーを身に付けていくというサイクルが確立されているのです。
 船橋:パールはプリンス・オブ・ダークネスなどと呼ばれました。

 ワインバーガー国防長官の時代に国防次官補でした。そのときの国務次官補だったリチャード・バートとはプリンスの戦いと言われたものでした。バートはロンドンの国際戦略研究所(IISS)の研究員からニューヨーク・タイムズの外交安全保障の専門記者を経て、政府に入っていきました。そういう姿を見ていると、シンクタンクやメディアを転戦しながら武者修行をして、最終的に政策起業家として政府のプレイヤーとなるといった開かれたシステムが、アメリカの強さだと思えます。こういう“リボルバー”政策起業家のキャリア・パスがあるんですね。
 宮田:船橋さんのシンクタンクでも人材育成を重視されていますね。

 船橋:はい。お2人のスタートアップ起業家にご支援いただいて、ロンドンのシンクタンクにAPIの若手の研究者を派遣するプログラムを来年発足させます。世界有数のシンクタンクで鍛えていただいて、戻ってきてからグローバルに活躍してもらおうと思っています。

■アメリカ国内で監視が厳しくなった外国マネー

 船橋:ところで、このところアメリカのシンクタンクに対する風当たりが強まっているようです。
 宮田:先ほどのシンクタンクが国際政治の舞台、あるいはプレイヤーとなっているという話に関係しますが、私が近年関心を抱いているのは、アメリカ国内で、シンクタンクと外国政府の関係を監視する目が厳しくなっていることです。

 船橋:そうですね。

 宮田:アメリカでは、数年前から、外国マネーがシンクタンクの研究を左右しているのではないかという疑念が生まれています。シンクタンクが外国政府の資金提供を受けて研究すること自体は今に始まったことではありませんが、メディアがそれを追及するようになってきています。
 例えば、昨年のカショギ事件(サウジアアラビア人ジャーナリスト、ジャマル・カジョキ氏がトルコのサウジ総領事館内で殺害された事件)の際には、ブルッキングズがサウジから資金提供を受けているという記事が出ました。あるいは、米中関係では、ファーウェイからアメリカのシンクタンクに資金が流れているという情報が取りざたされました。

 そうした風潮は軽視しないほうがよいと考えています。シンクタンクの信頼性とか信用度とかを崩すことになりかねない危険性をはらんでいます。
 船橋:サウジだけでなく、UAEなどの湾岸諸国に、各国大使館が林立するワシントンのマサチューセッツ通りが汚染されているという揶揄は、オバマ政権時代からありましたね。とくに、9.11以降、サウジアラビアマネーに対する国民やメディアの目は大変険しくなっていると感じます。サウジマネーはもうイエローカードだと。

 さらに、チャイナマネーについては、レッドカードの域に近づいていますね。アリババ(中国の情報技術会社)を率いるジャック・マーは、かつては、シリコンバレーの経営者に匹敵する立派な経営者だとアメリカでも高い信頼を得ていましたが、習近平体制で、そうした評価が変わりつつあるようです。もはや、中国に正真正銘の民間企業などないという評価に変わり、ジャック・マーの金も共産党の金と本質は同じだとする警戒感が高まっているように感じます。
 宮田:ワシントンの論調が急激に変わった背景をどのようにお考えですか。

 船橋:1つは、サイバーセフト(経済・金融情報の窃盗)だと思います。年間総計で3000億ドル相当が盗まれたとか、ステルス戦闘機の設計図が盗まれたとか言われています。要するにアン・フェアだという憤りです。もう1つは、2015年に発覚した、サイバー攻撃によってアメリカ連邦政府人事管理局から職員・元職員の個人情報がごっそり抜き取られた事件ですね。契約社員や応募者まで含めると2150万人分の情報が流出したと言われています。中国政府はもちろん認めていませんが、アメリカは中国政府の仕業と見ています。あの事件あたりを境に連邦政府の中堅の職員も、「中国は敵」と思うようになったのではないでしょうか。
 宮田:それが大きな岐路だったと。

 船橋:はい。昨年10月のペンス副大統領のスピーチは、まさに時代を画するスピーチだったと思います。それまでの不満と不信が一気に噴出した、中国に対する新しい姿勢というか態度がここで超党派的に生まれた契機だったと見ています。

■第三時代へと向かうシンクタンク

 船橋:最後にもう1つ、伺います。今後の研究テーマは何ですか

 宮田:まずは今、起こっていることを丁寧に見ていかなければと考えています。拙著の記述はオバマ政権時代で終わっていますから、トランプ時代については触れることができませんでした。
 アメリカのシンクタンクは、純粋な政策研究が主流だった第1時代から、政治的に活動的な富裕層の登場を背景に特定の政治活動を推進するシンクタンクが次々と生まれ、政策に強い影響力を持つようになった第2時代へと変遷してきました。しかし、トランプの出現でその影響力は弱まっているのかもしれません。トランプ政権はシンクタンクを重視していませんから、もしかするとトランプ時代はシンクタンクにとっての第3時代となる可能性があります。そのあたりことを注意深く見ていく必要があると思っています。
 船橋:トランプ時代のシンクタンクですね。ワシントンのシンクタンクの友人たちもどう扱ったものか、どう戦うべきか、まだゲーム・プランができないのではないでしょうか。どうなるのか……早く読みたいなあ。拙速でもいいですから、できるだけ早く出版してください、お願いします。
船橋 洋一 :アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長

最終更新:10月19日(土)7時00分

東洋経済オンライン

 

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