ここから本文です

昔も今も個性が光る「私鉄特急」名車列伝

9月19日(木)5時10分配信 東洋経済オンライン

疾走する東武鉄道の「デラックスロマンスカー」1720系(筆者撮影)
拡大写真
疾走する東武鉄道の「デラックスロマンスカー」1720系(筆者撮影)
 都内に住む私と同世代の友人が言う。「子どもの頃は小田急ロマンスカーに乗って箱根に行くのが楽しみでねぇ」。東京の子どもたちにとって、ロマンスカーは憧れの特急電車だった。

 筆者は東海道新幹線が開業する前、名古屋在住の頃に東海道本線の特急「こだま」で上京し、浅草から東武特急「きぬ」で鬼怒川温泉へ家族で旅行した思い出がある。「こだま」も大興奮したが、東武の「デラックスロマンスカー」はまさに未知の電車、その斬新なスタイルに未来の鉄道を感じたことも懐かしい。
 今ではロマンスカーといえば小田急の特急を指すようになったが、かつて私鉄の有料特急車は「ロマンスカー」と呼ばれることが多かった。昭和の子どもたちの胸をときめかした、そんな私鉄のロマンスカー、有料特急を今一度思い起こしてみよう。

■「デラックスロマンスカー」の伝統

 ■東武鉄道

 東武特急といえば名車「デラックスロマンスカー」(DRC)1720系がまず挙げられるが、「ロマンスカー」時代の到来を告げた最初の車両は1935年に登場したデハ10系による特急電車だった。戦後は進駐軍用として車内設備を充実した車両により特急の運転が復活し、特急専用車5700系の投入を経て1960年にDRCが登場、1991年まで活躍した。
 筆者は1964年にDRCに初めて乗車した際、サロン室にジュークボックスが設置されていたことや、編成の一部が日光観光の外国人団体専用となっており、車内アナウンスも流暢な英語だったのが印象に残っている。

 現在も主力の100系「スペーシア」はDRCの引退と重なるように登場した。「ロマンスカー」の名は消えたが、ビュッフェやコンパートメントなど観光特急にふさわしい設備を持った電車で、2006年3月からはJR新宿駅への乗り入れを開始。かつて東武と国鉄の日光行き列車はライバル同士だっただけに、相互乗り入れという形で結ばれているのが往年の国鉄157系準急「日光」を知る者には感慨深い。
 最新の特急は2017年4月に運行開始した「リバティ」で、東京と北関東の各都市を結ぶほか、野岩鉄道・会津鉄道経由で福島県の会津田島まで直通運転している。

 ■小田急電鉄

 戦前に流行歌の歌詞で「いっそ 小田急で逃げましょか」と歌われ、当時から新宿と箱根を結ぶ観光電車として知られた小田急。戦後になると、特急列車は「ロマンスカー」として一躍有名となった。その名を一気に広めたのは、1957年にデビューした3000形SE(Super Express)で、試験運転では最高時速145kmを記録している。
 次いで1963年に運転台を2階にして編成の前後を展望席にした3100形NSEが登場し、これが当時の子どもたちの憧れのロマンスカーだった。小田急ロマンスカーといえば展望席といわれ、その後も7000形LSE、10000形 HiSE、そしてしばらく間をおいて50000形VSEと展望席付きのロマンスカーが登場している。

■前面展望の伝統は消えず

 1991年にJR東海・御殿場線直通の「あさぎり」用として登場した20000形RSEは展望席こそなかったが、初の2階建て車を連結。相互乗り入れによってJRの371系が新宿まで乗り入れた。あさぎりは2012年に再び小田急の片乗り入れとなり、車両も地下鉄直通対応の60000形MSEに変更。2018年3月からは「ふじさん」に名を改めた。
 やはりロマンスカーといえば前面展望とばかりに、2018年3月から運転開始したのが70000形GSE(Graceful Super Express)で、赤色を基調とした「ローズバーミリオン」の車体に大きな窓で展望もぐっとワイドになった。絶えず進化する小田急ロマンスカー、次世代のロマンスカーも楽しみといったところである。

 ■西武鉄道

 東武、小田急と比較するとやや地味な感じの西武特急は「レッドアロー」と呼ばれ親しまれてきた。
 初代レッドアロー5000系は1969年10月14日、西武秩父線の開業と同時に運行開始。池袋―西武秩父間の「ちちぶ」のほか、飯能までの通勤客向け「むさし」、西武新宿と西武秩父を結ぶ「おくちちぶ」も運転され、池袋線、西武秩父線、新宿線を座席指定特急が走るようになった。

 1993年12月には現在も活躍する「ニューレッドアロー」10000系が登場。新宿線の特急「小江戸」が西武新宿―本川越間で運行を開始した。
 今年3月16日に運行を開始した新形特急は001系「Laview(ラビュー)」で、長年続いた「レッドアロー」の愛称はこの車両から使われなくなる。「いままでに見たことのない新しい車両」というコンセプトのもとに開発された電車で、その形状は目を見張るほどの奇抜さだ。

 だが、老年の筆者にはどこか懐かしいレトロさも感じた。1940年代のアメリカSF映画に出てくるような宇宙船と宇宙服を思い出してしまったのだ。ラビューを見て「歴史は繰り返す」と思ったのは歳のせいだろうか? 
■昔は揺れた「スカイライナー」

 ■京成電鉄

 京成はかつて「開運号」という特急があったが、成田空港の開港に向けて空港アクセス特急の運行を計画。1973年春の開港予定に合わせてAE形(Airport Express)といわれる専用車両が1972年に登場した。

 だが反対闘争などで開港が遅れ、1973年末から暫定的に上野―成田間ノンストップ特急に用いられ、ようやく1978年の開港時に晴れて空港特急として運行を開始した。この時代、筆者は渡欧の際によく利用したが何せ京成線内は揺れが激しく、高速運転とも相まってトイレの消毒液が揺れるたびにはみ出して衣服を汚した苦い経験がある。
 初代AEに次いで登場したAE100形は空港ターミナルビル地下への乗り入れに備えて1990年6月に営業運転を開始した。地下鉄乗り入れを想定し、前面に貫通扉があるデザインが特徴だった。

 2010年7月、「成田スカイアクセス」の開業に合わせて営業運転を開始したのが2代目のAE形で、その斬新なデザインはファッションデザイナーの山本寛斎が担当した。2010年度グッドデザイン賞および2011年鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞している。スカイアクセス線では最高時速160kmで走行し、国内の在来線最速を誇る列車だ。
 ■名古屋鉄道

 名鉄の特急といえば思い出すのは「パノラマカー」だが、今回は有料特急としてまずは国鉄(JR)高山本線直通の特急「北アルプス」を取り上げよう。

 名鉄から高山本線への乗り入れの歴史は1932年に始まるが、戦争によって中断し、戦後は1965年8月から全車指定席の準急「たかやま」として神宮前―高山間で運転を開始した。名鉄はこのために専用のディーゼルカー、キハ8000系6両を製造した。「たかやま」は1970年に「北アルプス」に改称されて富山方面まで運転される本州横断列車に発展し、1976年には特急に格上げされた。
 国鉄の分割民営化後、JR東海の特急「ひだ」が新型のキハ85系に代わるのを機に、名鉄も1991年に新車のキハ8500系を新造。JR車両とも連結できる構造で飛騨高山へのアクセスの一翼を担ったが、乗客の減少などで2001年9月30日をもって「北アルプス」は廃止され、名鉄の高山本線乗り入れの歴史を閉じた。

 一方、名鉄本線上での初の有料座席指定特急は、1961年の7月から海水浴シーズンに新岐阜―河和口間で運転された「内海」号だ。その後、特急は全列車が座席指定制となった時代を経て、現在は中部国際空港アクセス特急2000系「ミュースカイ」が全車指定席、そのほかは指定席の特別車と一般車を連結した特急や快速特急が本線上を疾走している。
■2階建てといえば「ビスタカー」

 ■近畿日本鉄道

 名古屋―大阪間を結ぶ近鉄の「名阪特急」は、旧国鉄の在来線時代から乗客獲得とスピードアップを競っており、ビジネスユーザー、観光客向けに快適な居住性を誇る特急電車を投入してきた。2階建て車として有名な「ビスタカー」もここから始まった。

 1958年に登場した10000系は日本初のダブルデッカー特急電車で、高速車両として世界初の2階建て車だった。この10000系はいわば試作車的なもので、その後「ビスタカーⅡ世」と呼ばれる10100系が1959年12月にデビューした。それまで狭軌だった名古屋線が伊勢湾台風の被害復旧と同時に標準軌に改軌されたことで、大阪の上本町と名古屋間の直通運転が可能になり、ビスタカーⅡ世は名阪間を2時間20分台で結んだ。
 1960年代に名古屋在住だった筆者は、そのスマートなヨーロピアンデザインの流線形と2階建てのドームカーを通じてはるかヨーロッパに憧れ、後年筆者をヨーロッパの鉄道に誘ってくれた思い出多い特急電車だった。

 その後継車である近鉄30000系電車、通称「ビスタカーIII世」は1978年12月にデビュー。伊勢志摩特急や名阪ノンストップ特急などで活躍してきた。筆者がブルートレインやエル特急の撮影で全国を取材していた頃の登場であり、同乗取材などもたびたび経験した電車なので思い入れもひとしおだ。現在もリニューアルされ「ビスタEX」として走り続けている。
 近鉄特急はビスタカーのほかにアーバンライナー、伊勢志摩ライナー、伊勢志摩観光特急「しまかぜ」などさまざまな車両がある。写真でお楽しみいただきたい。

 ■南海電鉄

 南海の有料特急は関西空港アクセスの「ラピート」や、本線の「サザン」などがあるが、伝統の特急列車はなんば―極楽橋間を結ぶ「こうや」だ。

 南海では、急勾配とカーブが続く橋本―極楽橋間を走破するパワーと、平坦区間での高速性能を兼ね備えた電車を、広角から望遠まで対応できるカメラのズームレンズに例えて「ズームカー」と呼ぶ。1961年に登場した「こうや」号用の特急車20000系は「デラックスズームカー」と呼ばれた。スタイルはスイスのTEE(欧州国際特急)用の名車「RAe TEEⅡ形」を参考にしたとされる優美なデザインで、インテリアは高島屋が担当した豪華な車両だった。1985年に廃車され、現在は1983年登場の30000系が後を引き継いで走っている。
■地方私鉄のヒーローたち

 大手私鉄だけでなく、地方私鉄にも特徴ある有料特急が走っている。

 その1つが長野電鉄だ。1957年から大手私鉄にも引けを取らない特急車両2000系を導入。独特の丸みを帯びたスタイルに赤い塗装がリンゴを思わせる電車で、一時は信州のロマンスカーといわれた名車だ。後任には小田急ロマンスカーHiSEを4両化した1000系「ゆけむり」、JR東日本の253系(成田エクスプレス)を譲り受けた2100系特急「スノーモンキー」が走っている。
 富山地方鉄道も以前から有料特急を走らせている。かつては名鉄の「北アルプス」キハ8000系も乗り入れ、線内特急にも使われていた。現在は、2階建て車を連結した元京阪電鉄3000系や、車内を豪華仕様にリニューアルした元西武レッドアロー5000系の「アルプスエキスプレス」などが人気だ。

 さまざまな私鉄の有料特急を取り上げたが、写真とあわせて懐かしい電車を回顧していただきたい。
南 正時 :鉄道写真家

最終更新:9月19日(木)5時10分

東洋経済オンライン

 

【あわせて読みたい】

【PR】Yahoo!ファイナンスからのお知らせ

【PR】Yahoo!ファイナンスからのお知らせ

Yahoo!ファイナンスからのお知らせ

平均年収ランキング

ヘッドライン