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出口治明「死ぬときは自分の家で思い通りに」

9月12日(木)6時50分配信 東洋経済オンライン

出口治明氏の考える理想的な死のかたちとは(撮影:梅谷秀司)
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出口治明氏の考える理想的な死のかたちとは(撮影:梅谷秀司)
今、医療の発達とともに100歳を超えて生きる人は珍しくなくなり、「人生100年時代」が言われています。
自分はどのような死を迎えるのだろうか、どのような死を望んでいるのか――。「大往生」を広辞苑で引くと、「安らかに死ぬこと、少しの苦しみもない往生」とあります。そんな理想的な死のかたちとは、どういうものか。
週刊文春編集部が人生を達観した先達たちに「理想の死に方」を尋ねる連続インタビューをまとめた『私の大往生』から出口治明氏の章を抜粋してお届けします。
 東京駅に隣接するビル内の立命館アジア太平洋大学(APU)東京キャンパスに、出口治明氏はきびきびした足取りで現れた。1948年生まれ、現在71歳。還暦にしてライフネット生命保険を開業するとともに、読書家として知られ、歴史に関する著書も多く、昨年からはAPUの学長を務めている。

■人間はいつかは死ぬのだから、考えても仕方がない

 「実は、死に方というようなことはあまり考えたことがありません。人間はいつかは死ぬのだから、考えても仕方がない。仕方がないことは考えないというのが、僕の基本的なスタンスなんです。
 例えばクロード・レヴィ=ストロースは、『悲しき熱帯』の終章で、『世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう』と書いていたと思いますけれども、まったくそのとおりだと考えています。

 地球の生命の歴史は40億年前に始まり、あと10億年で終わることがもう確定しています。それは太陽が大きくなって地球の水分がなくなるからですね。地球の生命の歴史が終わる以前に人間の歴史は終わり、たぶん最後は細菌が生き残るのだと思います。
 人間の未来の終焉が確定しているように、僕という1人の人間の死も生まれてからおよそ100年以内と決まっていることです。

 かつては『人間はどこから来てどこへ行くのか』という謎に思いを巡らすこともありえましたが、今ではサイエンス、自然科学によって、明確にその答えがわかっているわけです。人間はいわば星のかけらであって、死んだら星のかけらに戻るだけです。

 こんなことを話すと、『えらく悟っていますね』などと言われるのですが、悟りではありません。単にファクトを認識しただけだと僕は思っています」
 出口氏は55歳のとき、「遺書」を書いた。それが『生命保険入門』(岩波書店)というのだから面白い。勤めていた日本生命からビル管理会社に出向になったときのことだ。

 「僕は50歳ぐらいになったら遺書を書いたほうがいいと思っています。人間は動物なので、極論すれば子育てを終えたら自分の役割を終えるともいえる。だから50歳ぐらいで子育てを終えたら、遺書を書いたらどうかと思うのです。

 僕の場合はたまたま長く生命保険業界にいたので、『これが本当の生命保険や』というものを次の世代に引き継ぎたいと思いました。
 生命保険は人間の進化と密接に関わっています。というのは、人間は進化の過程で頭が大きくなった。一方で二足歩行をするようになり、骨盤が小さく、産道が狭くなった。

 そうすると、人間は未熟児すれすれの状態で生まれるしかないのです。ほかの動物は生まれて数時間で立ち上がりますが、人間は立ち上がれない。予定日に生まれても、人間は未熟児すれすれです。

 だから、ほかの動物と違って子育てにものすごく時間がかかります。大人になるまでの長い間に、保護者に万が一のことがあった場合の担保として生命保険が生まれました。
 だから基本的には子育てを終えたら生命保険はやめていいというのがグローバルな考え方だと思います。

 こうしたことを、僕は日本生命で34年間働いて教わったり自分で学んだりしました。その後、ビル管理会社に出向になって、もう生命保険業界に戻ることはないだろうと思って遺書のつもりで書いたのです。そうしたら運命のいたずらで、またライフネット生命に戻ってしまいましたが」

■思いどおりに死ねる社会を

 出口氏はアドバンス・ケア・プランニング(ACP)の普及を提唱している。欧米で始まった「患者の意思決定支援計画」で、「意識がなくなったらいっさい治療をしないでほしい」とか「意識がなくなってもお金が続く限り治療を続けてほしい」など、本人が元気なうちに意思表示しておくものだ。
 「ACPの考え方の基には、僕の体験があります。すごくかわいがってくれた叔父がいたのです。その叔父が脳出血で倒れて、意識が完全になくなった。叔母は動揺して、『絶対に目を覚ますから』と、そんなにお金もなかったのですが、医者には『ありとあらゆる治療をしてください』と頼んで、ほぼ24時間添い続けました。

 親族が何を言っても、医者が『意識は戻らないでしょう」と言っても、『そんなことはない』と聞き入れない。叔母自身が過労で倒れて初めて『もうええ』ということになりました。
 その様子を見ていて、治療を続けるかどうかは本人以外は絶対決められないんだと痛感したのです。ACPを広めないといけないと思いました。

 例えば40歳を過ぎた人が風邪や腹痛で医者に来た場合でも『ACPをやりませんか』と医者が勧めればいい。

 医療点数表で思い切って1000点ぐらいを与えたら、医者は必ずやります。それをクラウドか何かで保存しておいて、1年経ったら気持ちが変わっているかもしれないので、また聞いて、更新したらまた1000点あげる。医療点数表で思い切って加算すれば、マーケット原理が働いて医者は絶対やるので、たちまち広がると、皆さん、思いませんか。
 意識がなくなったときにどういう治療を受けるかということは、絶対に本人以外には決められないのですから、ACPは早く制度化してほしいですね。日本は超高齢社会ですから、世界に率先してやるべき責務があると僕は思います。

 自分の家で安心して死ねる社会、自分の思いどおりに死ねる社会を目指すべきです」

■あるお医者様からの痺れた「手紙」

 遺書をめぐっては、ある人の死に方が出口氏の胸に刻まれている。

 「お付き合いのあった、あるお医者様です。僕よりかなり年上の方です。その方が亡くなったときに、ぜひお葬式に行ってお別れをしたいと申し入れたら、『故人の遺志ですから』と固辞されました。ところが、1週間ぐらい後に、その亡くなったお医者様からお手紙が届いたのです。何やろうこれは、と開いてみると、
 『みなさん今日は。突然私はあの世に行くことになりました。急なことなのでご挨拶ができずにすみません。みなさんには大変お世話になりました。みなさんはまだあの世に行こうなんてアホなことは考えずに、今のお仕事を一所懸命やってください。時が来たらあの世でお待ちしていますから、また楽しく語り合いましょう』

 などと印刷された文面でした。これには痺れました。もしものときのためにあらかじめ手紙を用意されていたのですね。
 僕も、朝起きてちょっとしんどいからそろそろ仕事を辞めようかという時になったら、最初にACPとこんな手紙を書いておこうと思っています。

 ACPに書きたいのはまず、延命治療はいっさい要らないので、意識がなくなったら何もしないでほしいということ。

 それから、お墓は地球を汚すだけなので、骨は海にまいてもらいたいということ。お墓があれば子供たちがたまには墓参りに行かなあかんとか思うかもしれない。なければそんな面倒をかけずに済みます。
 今は学長をやっていますから、規則で年に1回、健康診断を受けなければいけないのです。僕ぐらいの年齢だと人間ドックで丁寧に見てもらう例が多いようですが、僕は学園が要求するミニマムの検査だけしてもらって、さっさと帰ることにしています。基本的には病院が嫌いなんです。

 人間、70歳を過ぎたらいつ死んでもおかしくない。最小限の検査をして、普通に働いてええと診断されたら、それで十分やというのが僕の考えです。

 健康法などは一度も考えたことはないですね。動物は寝て、ご飯を食べていればいいわけです。あとは働いていればそこそこ歩きますしね。普段は地下鉄を使うので、毎日1万数千歩は歩いていますね。
 だいたい夜12時前後に寝て、朝6時前後に起きるというパターンです。何もない週末は朝8時か10時ぐらいまで寝ています。寝るのが大好きなんです。寝る前に1時間ぐらい本を読むのが習慣になっていますから、読んでいて眠たくなったら寝ようかという感じです。眠りが深いので、朝は目覚ましをマキシマムにして起きています。睡眠の時間や質は、若い時とあまり変わっていないと思います」

 健康を支えているのが、どうやら旺盛な食欲らしい。「大食い」と自覚している。
 「さすがに昔に比べたら食べる量は少し減ったような気がします。あまり太るとスーツが着られなくなりますし。それでも若い人と一緒に食べていると『僕らよりよく食べますね』と言われます。

 とくに好き嫌いはありませんが、相対的に何が好きかといったら、やはり肉ですね。

 1948年生まれですから、小学校ではまだ給食で脱脂粉乳が出ていた時代です。僕はいつも給食当番をやっていました。給食を全部食べてもまだお腹が空くので、給食当番になって少しでも自分のところにたくさんよそおうという魂胆です。そういう育ちなので好き嫌いがないんですね。
 たまのご馳走といえば肉でした。すき焼きとかステーキとか。それで肉が好きになったのだと思います。若いときは1キロ食べたりしていました。今でも400、500グラムぐらいは食べてもまったく平気です。

■川の流れにどう適応するか

 お酒は飲みますが、酒で憂さを晴らすということはないですね。飲まなくても憂さは晴らせますよ。

 大きな会社にいたときは、訳のわからない上司もいたので、腹が立ったら気の合う友だちを連れて2時間ぐらいランチに行き、おいしいものを食べて上司の悪口を目いっぱい話してスッとして帰ったりしていました。腹にためておいたらろくなことがありません。上司に関してもおかしいことはおかしいとはっきり進言していました。
 上司に誘われても、つまらない宴会は避けてきました。一緒にご飯を食べる人も飲む人も面白いかどうかだけで選んでいます。読む本もそうです。面白いかどうか、だけが僕の人生の価値基準なのです。

 幸いなことに、日本生命に入って、29歳で上京してから43歳でロンドンに行くまでは、1年間日本興業銀行に出向した期間を除いては、ずっとMOF担(大蔵省=現・財務省担当)でした。

 MOF担は比較的自由なポジションでしたので、社内で義理人情的な飲み会があっても『ちょっと〇〇の人と約束があります』と断れば誰も文句を言わないし、むしろ『ご苦労さん』とかいってくれました。
 朝起きたときに『体が弱ってるな』とか『仕事に行くのが嫌やな』とか思ったらやめればいいだけの話ですから、そう思わない限りは働いていけばいいと思っています。

 歴史を見ていると、人間はそれほど賢い動物ではないわけですから、自分で自分の人生を上手に設計したりはできないと思っています。事前に計画しても無理。いろんな出会いを大切に、川の流れのままに流れていくしかないと思っています。

 人間や生物の基本原理は、ダーウィンの進化論にすべてが要約されていると考えています。『運』と『適応』です。運というのは適当なときに適当な場所にいることですが、そんなのは自分では絶対わからない。人智を超えた世界です。川の流れにどう適応するかだけが肝要です。
 だから仕事を辞めた後に何をしようかなどと計画したことは一度もありません。川の流れのままに生きていますから。ただ、僕は旅が大好きですから、旅に出るかもしれません。

 生まれは三重県の美杉村ですが、育ったのは伊賀上野。ここは芭蕉が生まれたところです。芭蕉の『旅に病んで夢は枯野をかけ廻る』という辞世の句がありますね。仕事を辞めたあと、世界を放浪するのは何だか楽しそうですね。

 だから、面白そうな町を歩いているときに心臓麻痺で死んじゃうというのが楽しいかな、とたまに空想することはあります。今まで自分の脚で歩いた町は1200~1300ですが、まだまだ行きたいところは山ほどあります。とくに南米はインカの遺跡ぐらいしか歩いていないので、パタゴニアとかアマゾンとかに行ってみたい。
 棺の中に1冊愛読書を入れてもらうとしたら、今思いつくのはマルグリット・ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』です。20代後半に読んでから、これを超える本にはまだ出会っていないと思います」

■財産がなければ家族がもめる心配もない

 仕事も旅も、やりたいことをやり切って最期を迎えるのが望みだという。お金も遣い切る主義だ。

 「あれもやっておけばよかった、これもやっておけばよかった、と悔いを残す人生が一番つまらない。人生は1回きりなので、やりたいことはみんなやる。好きなことをやるのがいちばん楽しい人生だと思っているのです。だから、人生『悔いなし、貯金なし』で終われば最高です。
 歴史を見ていると、お金を遺すとろくなことがないんですよ。遺産をめぐって争ったケースが山ほどあるじゃないですか。例えばムガル朝はすごいですよね。タージマハルを建てたシャー・ジャハーンの子供のアウラングゼーブは、兄弟を殺し、お父さんを幽閉して王国を継承したわけです。

 でも財産がなければ家族が遺産相続で争うこともない。僕の場合は貯金なしですから、遺産が配偶者控除を超えることなど未来永劫ありえないので、家族がもめる心配もありません。
 というのも、僕は貯めるより使うほうが大好きで、働いて得たお金はご飯を食べるとか、お酒を飲むとか、旅をするとかに、どんどん使っています」

 世界史・日本史に精通する出口氏に、歴史上の人物の死に方で、印象に残った人はいるか尋ねてみた。

 「紀元1世紀のローマ帝国で、悪名高いネロの後に皇帝になったウェスパシアヌスという人がいます。若いときに読んだ世界史の本で知ったのですが、この人は年を取ってから皇帝になった、なかなかのユーモアの持ち主です。
 ローマ皇帝は、カエサル、アウグストゥス以来、死んだら神様になるのですが、冷徹で知性的な皇帝だったウェスパシアヌスは死に瀕して、『控えおれ。俺は今から神になるぞ』」と言ったそうです。それで死んでしまった。

 僕は、人間にとっていちばん大事な能力は、どんなときにも自分を笑うことができるユーモアを忘れないことだと思っています。最後に周囲をからかって死んだウェスパシアヌス、格好いいおじさんやなあと思いました。
 日本で言えばやっぱり織田信長ですね。明智光秀謀反の報を聞いたとき、信長は一言、『是非もなし』と言ったと伝わります。その意味するところは諸説ありますけれど、あんなにかわいがっていたのに! と激怒したりするわけでもなく、恨みつらみや未練を言うわけでもなく、リアルに現実を受け止める一言だけを発した。最後まで合理的でクールだったところが信長らしいなあと、ひかれます。

 ロマン・ロランが言った有名な言葉がありますね。『人間にとって必要な勇気はたった1つ。現実をありのままに見つめ、それを受け入れる勇気である』」
■いろんな年齢の友人がいると、楽しくなる

 それにしても、周囲の友人知人が亡くなるなどして、死の恐れを身近に感じることもないのだろうか。

 「年を取ると死の恐怖があるのは、わからないでもありません。友達や知人がたくさん死んでいくから死を意識してしまう。でも、死亡表(年齢別死亡率や平均余命などの統計)を見れば年を取ったら死亡率が上がっていくのははっきりしている。確率が年々高まっていくわけですから、別に怖れることはないと思います。当たり前のことやな、と思えばいいだけの話です。
 周囲の人が亡くなっていき、孤独に感じる人がいるかもしれません。それは、仕事が終わったら『飯、風呂、寝る』だけの生活で、職場の中にしか友達がいなかったら、定年退職すると友達が減って、同期の人もだんだん亡くなっていくので、遊ぶ友人がいないなとか思って寂しくなるのです。

 そういうときは、亡くなった友人の代わりに新しい友人を作ろうと思えばそれでいい。若い友人をつくれば、そんなに孤独は感じないでしょう。同世代の友人しかいないから、寂しく感じるのです。
 いろんな年齢の友人がいると、楽しくなる一方です。僕は昨夜も12時頃まで飲んでいました。一晩空いたので、フェイスブックで「○日の晩、飲みませんか」と誘っただけですが、結果的に集まったのは、学生、ジャーナリスト、大学の先生、ピアニスト、日本舞踊家、起業家、作曲家、会社の社長、編集者といった面々でした。

 最高齢者は僕ですが、20代から男女を含めていろんな人がいて、みんな勝手にガヤガヤ話しながら飲んでいます。年に3、4回こういう集まりをやっています。
 他愛もない話をすれば、最期のときには恋愛のことを思い浮かべるのがいちばん楽しいでしょうね。僕は恋愛ではほとんど振られるばかりでしたけれど。誰しも中学や高校の頃に初恋のようなものがあって、そんなのはほとんどうまくいくはずがないですよね。でも、心にはその時のことがずっと残っている。

 そんな人生の記憶に残る初恋を思い出したら楽しそうだな、と今ふと思いました」

■出口氏の大往生アンケート

■理想の最期とは? 
僕はいちばん好きなのが寝ることなので、そのまま目が覚めなかったら楽しいかなと思うことがよくあります。
■心に残っている死に方をした人は? 
「突然私はあの世に行くことになったのでご挨拶ができずにすみません。みなさんには大変お世話になりました」という手紙を用意されていたお医者様。これには痺れました。歴史上の人物では、ローマ皇帝のウェスパシアヌス、織田信長。(本文参照)
■想定している自分のラストシーンは? 
外国の旅先の町を歩いているときに心臓麻痺で死んじゃうのが楽しそうかな。
■最後の晩餐で食べたいものは? 
牛肉です。おいしいステーキとか、おいしいすき焼きとか、おいしいしゃぶしゃぶとか。ローストビーフでもいいです。
■最後の瞬間、何を思い浮かべる? 
恋愛のことを思い浮かべるのがいちばん楽しいでしょうね。中学の頃の初恋かな。
■もし生まれ変われるとしたら? 
生まれ変わることはないので、興味がありません。星のかけらになるだけです。その星のかけらからまた何か新しいものが生まれてくると考えれば楽しいですね。
■死ぬことは、怖いですか? 
死亡表を見れば年をとったら確率が上がるのがわかりますね。年をとったら死んでいくということがわかるので、そのファクトがちゃんとわかっていれば、当たり前のことやな、と思えばいいだけで、べつに怖れることはないと思います。
死のことより、今何をするかを考えるほうが楽しいです。
 (初出:週刊文春2019年4月4日号、取材・構成:神長倉伸義)
『週刊文春』編集部

最終更新:9月12日(木)6時50分

東洋経済オンライン

 

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