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中学退学「東大ありき」受験に挑んだ少年の結末

8月21日(水)5時30分配信 東洋経済オンライン

「東大を目指せ」と幼少期から母親にレールを引かれ続けた少年のその後とは……(写真:編集部撮影)
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「東大を目指せ」と幼少期から母親にレールを引かれ続けた少年のその後とは……(写真:編集部撮影)
 今年の夏も街中では塾のバッグを肩にかけ、夏期講習に向かう子どもたちの姿が見られる。小6の受験生にとっては、この夏にどれだけ学力をつけられるかが、秋以降の志望校選択に影響するのは確かだ。

 都立中高一貫校が軒並み高校募集停止を発表する中、ここ東京では中学受験を視野に入れる家庭も増えている。だが、子ども本人の意思で中学受験を始める家庭は少なく、親主導で進められることが多い。

 「子どもには、最善の道を与えてやりたい」という親心はいつの時代も変わらないが、はたして、どれだけ子どもの意思は尊重されているのか。そんな中、連載を読んだという20代の男性から連絡が届いた。
 メールには、親主導で中学受験に突き進んだものの、志望校には受からず、滑り止めの学校に入学するも、中学3年生の11月に自主退学したと書かれていた。

 現在は、とある大手企業に勤務する男性。中3での退学とは、彼にいったい何が起こったのか。7月、男性の元を訪ねると、想像をはるかに超える事態が隠されていた。

■友達と遊んだ記憶のない小学生時代

 都内のホテルのロビーに現れた男性は、さわやかな笑顔であいさつをしてくれた。現在は海外赴任中だという男性は田中剛さん(仮名・20代)。一時帰国を利用して、この取材に応じてくれた。「私なんかの経験が役に立ちますかね」と言いながらも、話し始めると、次々と当時の様子を言葉にしてくれた。
 九州の名家の生まれだった母の敏子さん(仮名)は、一人息子の教育に情熱を燃やしていた。「あなたはおじいちゃまと同じ東大に入るのよ」。幼い頃から口癖のように息子に話しかけていた。

 「祖父は東大出身の元官僚でその後、政治家になりました。母は東大ではありませんでしたが、小学校から大学の付属校という人でした。僕を自分が歩んできたのと同じようにしたかったんだと思います」(剛さん)

 まず挑まされたのが小学校のお受験。幼児教室にも通い、抽選も無事に通過したものの、結果は不合格。その後は、すぐに中学受験に向けてのレールが敷かれ始めたという。
 3年生になると、母親の受験熱は徐々に上がり始めていく。3年生で日能研に入塾、これだけでは足らないと、栄光ゼミナールでは国語を習い、算数は個別指導の教室へ。加えて家庭教師も雇い、万全の体制が整えられた。

 「目指すは東大!」と意気込む母親。もはやダブル通塾どころではない。やれることはすべてやってやろうという、母親の意思の強さに剛少年は歯向かうことなどできなかった。

 「友達と遊んだ記憶がないんです。野球が好きで、小1で地域の野球チームに入ったのですが、小4で野球は辞めさせられました。学校が終わると、とにかく毎日どこかの塾に行く生活で、勉強しかしていなかった」
 これだけ勉強を重ねても、成績は親の期待までは届かず、伸び悩んだ。日能研ではつねに上から2番目のクラス。偏差値も50台から上がらない。1番上のクラスにいくことは一度もないまま受験の年を迎える。

■名門私立、武蔵を第1志望に

 志望校を決めたのは、ほぼ母親だ。目指すは東大、そこに向けての道のりを逆算し、東大に多くの入学者を輩出している学校に受かることが目標として立てられた。敏子さんのお眼鏡にかなったのは名門私立、武蔵。見学に行き、第1志望とするようにと母親は剛さんに強く勧めた。
 「見学に行ったのは武蔵だけだったと思います。第2志望、第3志望は偏差値表を見ながら“どこにする?”と話し合って決めた」という言葉のとおり、ほかの学校は名前くらいしか知らなかった。

 高知の土佐塾、城北、都内の難関私立大学付属と、男子校ばかりを受験したが、当時は志望校が男子校なのかどうかすら、頭に入っていなかったという。

 「今考えると、母親が男子校に入れたかったのかな?」。男子校志望だったのか? というこちらの質問を受けて、はじめて気がついたようだった。遊びたい気持ちを抑えて勉強と向き合う日々。だが、幼い頃から「これが普通だった」という剛少年は、むしろ塾のない生活など考えられなかったと語る。
 「家庭教師は塾のフォローのために雇われていたので、家庭教師と勉強してから塾に行くという曜日もありました」

 これだけの努力をしたにもかかわらず、第1志望の武蔵は不合格。入学を希望していない土佐塾と、名前しか見ていなかった滑り止めの学校のみの合格となった。

 落胆したのは母親だ。東大にすんなり届く中高一貫校に入れることを目標に手を打ってきた中学受験の結末は、母親にとってあまりにも大きなショックだったのだろう。名門私立の合格を聞いても敏子さんから「おめでとう」の言葉はなかった。
 「しょせんそのレベル」。入学を決めた後も、二言目にはこう漏らし、剛さんに高校受験でリベンジするようにとたたみかけたという。一方、剛さんのほうはというと、高校受験に挑む気持ちはさらさらなかった。入学した学校は普通に過ごせば大学まで上がれる。「もうこのままでいい」。だが、母親の東大への憧れの火が消えることはなかった。

 中学に入るとすぐに高校入試のための塾に通塾を開始。本郷三丁目にある進度が速いことで有名な塾に通い始めた。母親が調べてきた情報によると、その塾は中1の段階で、中3までの数学と国語を終わらせるという。
 入塾してみると確かに進度が速く、スパスパと単元が終わっていった。中2からはSAPIXに入塾、週3日の通塾生活を続けていた。幼い頃から塾に通い慣れているとはいえ、入学直後からのリベンジ通塾は、まだ幼さの残る中1の少年にとってはストレスだったのか。心の悲鳴はその後、意外な形で表れることになった。

 「塾が嫌になってきて、夏期講習のときなんか、母親に内緒で塾に行く途中の電気屋でテレビを見て時間を潰し、帰ったこともありました。高校野球の中継とかを見てましたよ」
 好きな野球も辞めさせられて、ひたすら勉強を強いられてきた日々。だが、母親に「受験はしたくない」と伝えることなどできなかった。「言ったところで、聞いてもらえませんから……」。

 やり場のない気持ちが爆発したのか、中2の後半、剛少年は思わぬ行動を起こしてしまう。握りしめた拳で同級生を殴るようになった。相手は特定の1人。数カ月にわたり、繰り返し繰り返し、何も悪くないその子の腹をパンチした。傷は服に隠れて見えないため、いじめは中3になるまで周囲に気づかれなかった。
 「本当に、なんであんなことをしたのか、彼には申し訳ないことをしました。本当に申し訳なかったなって思います」(剛さん)

 悪いことは、いつかはバレる。標的となった少年が風呂に入ろうと服を脱いだとき、母親がお腹のアザに気づいた。母親は学校に連絡、剛少年のこれまでの悪行が白日の下にさらされた。こうして中学3年生の10月、剛少年は自主退学となった。

 それでも、母・敏子さんはまったく動じる様子はない。「こんな学校、中退できてよかったのよ」。敏子さんの口からは思わぬ言葉が出てきたという。精一杯の強がりだったのか、敏子さんはそれ以上のことは言わなかった。
■母親主導の受験から本人主導の受験へ

 中3の11月に地元の公立中学に転入するなど、“ワケあり”なことは誰の目にも明らかだった。

 「これはさすがにまずいと思いました。高校受験してどこかに入らなければ、後がない」

 そうしてはじめて、勉強に対するエンジンがかかった。まずは受験の戦略を練らなければならない。都立高校は内申書が必要なため、もはや諦めるしかない。

 「中3の2学期の途中ですし、退学してきてますから、内申書がつかないんです。ゼロです、ゼロ」
 となると、望みがあるのは私立だが、私立もすべての学校がテスト一発勝負というわけでもない。こうして消去法でいくと、志望校にできるところはおのずと絞られてきた。中でも剛少年が目にとめたのは慶應の付属校だ。自由な校風が気に入っていた。

 こうして気合が入り出した剛少年、それまでは受け身だった塾での姿勢も変わり始めた。SAPIXに加えて通っていたのは早稲田アカデミーの開成必勝コース。それだけではない。個別指導のトーマスの門もたたいた。これらは、高校受験を望んでいた母親に通わされていた塾だったが、退学後の通塾は、本人の意思が加わった。
 「後がない」と焦る剛さんに寄り添うように支えてくれたのが、トーマスで出会った講師だった。皮肉にも彼は東大生だった。「教え方がものすごくうまかった。理解しやすいように説明してくれました」。

 おかげで成績はやや上がり、偏差値は50台後半に。まだまだ志望校には届かない水準だったが、剛さんには「自分は今、誰よりも勉強をしている」という自信があった。受けてみなければわからない。とにかく勝負に出ようと決めた。
 受験したのは開成、早大系の付属と、慶應系の1校。試験では力を存分に発揮した。早大系の高校では、自己採点で国語は満点、ほかの教科もまずまずの成績、これなら受かる! と思ったという。ところが、まさかの結果は不合格。

 「やっぱり、内申点が関係していたと思います。低いのではなく、ゼロなので……」

 慶應の面接ではこの点に加え、こんな質問が飛んできた。「なぜ11月に学校を変わっているの?」と面接官。剛少年の口からはとっさの方便がついて出た。「高校入試をするためにけじめをつけようと、いったん中退してやりなおしたかったので」。この答えがよかったのか、第1志望の慶應から合格をもらうことができた。
■紆余曲折を経たからこそ自分の人生を歩むことができた

 「このときも母親からはおめでとうとは言われなかったです。それどころか、入学しても“東大どうすんの?”って言われました。さすがにもういいだろうと、“うるせーよ!”と言ってやりましたよ」

 高校では幼いときからやりたかった野球部に所属し、青春を謳歌した。息子を東大に入れるという母親の夢はあえなく散り、息子はそのまま慶應大学に進学、今は大手企業に勤務し、1児の父親となっている。
 当時を振り返り、彼は何を思うのか。

 「僕は中学受験では失敗しましたが、それでも勉強をやったという自負はあります。母親の気持ちに応えることはできませんでしたし、好きなことも我慢させられてきました。大きな問題も起こしてしまった。それでも今、母親には感謝していますよ。自分の子どもが中学受験をしたいと言い出したら、どうしたらいいか、あの経験を踏まえて、ちゃんと教えられると思いますしね」

 母親がよかれと思って挑ませた中学受験。志望校に不合格になるという不本意な結果から、自主退学、高校受験という道のりは、10代前半の少年にとってたやすい道ではなかっただろう。
 だが、この紆余曲折がなければ「東大ありき」という母親との関係が変わることもなかったはずだ。母親からみれば「失敗」と言われる過去も、なんとか乗り越えて社会人として第一線で活躍する今、剛さんにとっては糧となっている。苦い思いを噛み締めて、大人になった剛さんだからこそできる子育てを期待してやまない。

本連載「中学受験のリアル」では、中学受験の体験について、お話いただける方を募集しております。取材に伺い、詳しくお聞きします。こちらのフォームよりご記入ください。
宮本 さおり :ライター

最終更新:8月21日(水)11時53分

東洋経済オンライン

 

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