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最低賃金アップで「生産性が向上する」仕組み

7月19日(金)5時10分配信 東洋経済オンライン

「最低賃金」と「生産性」の関係について、あらためて整理していきます(撮影:尾形文繁)
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「最低賃金」と「生産性」の関係について、あらためて整理していきます(撮影:尾形文繁)
オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。
退職後も日本経済の研究を続け、『新・観光立国論』『新・生産性立国論』など、日本を救う数々の提言を行ってきた彼が、ついにたどり着いた日本の生存戦略をまとめた『日本人の勝算』が刊行されて半年。「最低賃金引き上げ」というアトキンソン氏の主張が現実のものになりつつある。

今回の参院選も、自民党が最低賃金1000円、立憲民主党が1300円、共産党が1500円を掲げ、まさに「最低賃金引き上げ選挙」と言っても過言ではない状況だ。
今回は、「最低賃金を引き上げると生産性が向上する」因果関係を、改めて整理する。

■人口減少危機には「常識外」の対策が必要

 これから日本に迫る人口減少は本当に大変な危機で、その危機に対応するには生産性を大きく向上させるしかありません。増える一方の社会保障費を、減る一方の労働者で支えるためには、それしかありません。生産性の向上ができなければ、日本経済は破綻します。

 社会保障問題に対応できる水準まで生産性を引き上げるためには、大胆な政策が必要になります。これまでの常識の範囲内の政策ではすみません。だから私は、最低賃金を毎年、継続的に5%引き上げる政策を主張しています。
 もちろん、最低賃金を引き上げると企業経営が大変になることはわかっています。地方が大変になることもわかっています。国家にとって人口減少がどれほどの大問題かわかっていない経営者が、何も変えたくない気持ちもわかります。

 私自身、国全体の生産性を上げるには、輸出の増加、企業規模の拡大、女性活躍の推進、社員教育充実などが必要であることを、『日本人の勝算』でも指摘しています。最低賃金を上げる「だけ」で、人口減少・高齢化という大問題に対応できるとは思っていません。
 しかしそれでも、最低賃金の引き上げが絶対に必要なのは変わりません。

 なぜかというと、生産性を高めるモチベーションがない経営者を、なんとしても動かす必要があるからです。ここ二十数年間、生産性は十分とは言えないながら上がっているにもかかわらず、給料は下がっているという厳然たる事実がありますので、これまでのように経営者の自主性に任せただけでは、100年経っても、人口減少に対応してもらえる保証はないからです。
 一方、最低賃金を引き上げても、生産性が向上するとは限らないという主張をいくつか目にするようになりました。彼らの主張をまとめると、生産性が高まるから賃金が上がるのであって、賃金を上げたら生産性が高まるというのは、因果関係が逆だという理屈です。

 確かに、今までの通常の経済学では、それは「常識」です。しかし、今の日本は異常事態です。日本が迎える未曾有の人口減少危機に、平凡な考え方で対応できると思えません。今までにない考え方、「非常識」な考え方が必須です。人口が減少すること自体が「非常識」だからです。
 強烈な金融緩和をしてもインフレにならないなど、世界各地で今までの「常識」では説明のつかない出来事が増えています。だからこそ、諸外国はすでに最低賃金と生産性の通常の因果関係を逆さまにして、挑戦をしています。成果も出て、きちんと検証もされています。

 ほかにも、「最低賃金を引き上げると生産性が上がる」という考え方は、相関関係と因果関係を勘違いしているという意見も見られます。この意見に関してはきっぱりと否定しておきます。
 自分で言うのもなんですが、相関関係と因果関係を盲目的に勘違いするようでは、ゴールドマン・サックスのアナリストは務まりません。もちろんトップアナリストになることは不可能ですし、私がこれまで歩んできたキャリアを達成することは絶対に無理だったことでしょう。

 それはともかく、最低賃金の引き上げが生産性の向上に結び付かないという意見がよく見られるようになりましたので、改めて、なぜ最低賃金を引き上げると生産性が上がるかを考えていきたいと思います。
■最低賃金引き上げは「必ず」労働生産性を高める

 日本では「生産性」についての理解が確立されておらず、議論の焦点が整理されていないことが多いと感じます。さまざまな概念がごちゃまぜになっているのです。

 だからまずは、生産性向上と最低賃金の因果関係を整理しましょう。極めて大切な議論ですから、衒学的に見えるかもしれませんが、しばらくお付き合いください。

 厳密に言うと、最低賃金を引き上げたら、「労働生産性」は必ず上がります。必然です。これには反論の余地はありません。
 なぜかというと、最低賃金で人を雇用している企業は、ボロ儲けをしているブラック企業でもないかぎり、間違いなく生産性の低い企業だからです。

 最低賃金の引き上げによって、その企業が倒産すれば、すべての企業の平均である労働生産性の統計から、最も低い数値がのぞかれることになるので、当然、全体の平均は上がります。

 仮に付加価値が1と3と5の企業があって、各社に労働者が1人ずついるとすると、その国の労働生産性は(1+3+5)÷3=3です。1の付加価値しかない企業が倒産すれば、労働生産性は(3+5)÷2=4となります。このように、必ず労働生産性が上がるのです。数学のマジックです。
 「最低賃金を引き上げると、企業が倒産する」という反論がありますが、「企業が倒産する」としている時点で、労働生産性が上がることを認めていることになります。

 最低賃金の引き上げは、労働生産性の向上につながります。この点に関しては、議論の余地はありません。一方、国全体の生産性がどうなるかについては議論の余地がありますが、上がらないと断言するのは結論ありきの論理の飛躍です。

 さて、先に紹介した反対意見では、「因果関係が逆だ」と言っていますが、これは単純すぎます。
 正確には、先に述べたように「最低賃金を引き上げると、労働生産性は必ず上がるが、国全体の生産性が上がるかどうかは別問題である」というのが正しいのです。上がるシナリオも、下がるシナリオもありえます。事態はより複雑になります。

 先ほどの例を使って説明しましょう。今回もまた、1と3と5の付加価値を上げている企業に、それぞれ1人ずつの社員がいると仮定します。1と3と5ですから、付加価値の合計は9です。1人当たり付加価値は9÷3で3です。
 生産性1の企業が倒産し、その企業で働いていた1人が失業者になると仮定します。付加価値の合計は3+5=8に減ります。労働者の2人で割ると、労働生産性は8÷2=4に上がります。しかし、国全体の生産性は失業してしまった1人も含みますので、8÷3≒2.7まで下がります。

 ここで「ほらみろ、国全体の生産性は下がるではないか」と思われたかもしれませんが、それは早計です。

 国全体の生産性が下がるという結論は、あくまで倒産した企業で生産性1で働いていた人が、死ぬまで失業したままという前提を置いた場合にのみ成り立つ話です。そんなことがはたして現実的なのか、極めて疑問です。後ほどそれを説明します。
■「経営の改善」を無視するべきではない

 共存共栄という観点から見た理想的なケースは、1の生産性しかあげていない企業が倒産せず、融資を受け、設備投資をし、新しい商品を作ったり、新しい技術を使うなどして、付加価値を高めることです。例えば、付加価値が1から2となれば、国全体の生産性が3から(2+3+5)÷3≒3.3に上がります。

 国全体の生産性を上げる理想的なケースは、生産性1の企業が買収されたり、統合されたりして、そこで働いていた人が生産性5の企業で働くようになることです。この場合、その企業は新しく増えた社員を再教育することで、それまでできなかった輸出ができるようになるかもしれません。そのように新しく入った人が5の生産を発揮すれば、全体の付加価値は3+5+5=13となって、労働生産性も、国全体の生産性も13÷3≒3.7となります。
 つまり、最低賃金を上げても生産性は上がらないという主張は、労働者のスキルアップ、最先端技術の活用、輸出の拡大、人手不足がないと仮定している、ゼロサムゲームのシナリオでしかないのです。

 最低賃金の引き上げと生産性向上の因果関係が逆だという主張は、日本経済の要素がすべて不変で、経営者には対応力がまったくないと言っているのと同じです。

 私は、日本の経営者の経営戦略が間違っていたことが、日本経済低迷の原因だと主張しています。しかし、生産性1の企業が倒産した場合、失業した労働者に生涯、職を与えられなかったり、「お尻に火がついた」状態に追いやられても1だった生産性を2に上げることができないほどに、日本の経営者が無能だとは思っていません。もちろん、日本人の労働者にスキルアップの可能性がないとも思えません。
 最低賃金が上がっても、経営者は生産性を高められないという主張は、私以上に強烈に「日本の経営者は究極の無能だ」という主張になってしまいますが、それでよろしいのでしょうか。

 この20年間、最低賃金を引き上げ続けてきたイギリスでは、政府が大学に依頼して、その結果を詳しく分析しています。最低賃金、もしくはそれに近い賃金で雇用している割合の高い企業を対象に、最低賃金の引き上げ前と後の実際の決算書を、継続的に分析しています。
 その結果、最も影響を受けた企業群でも廃業率が向上することはなく、単価を引き上げることもあまりなく、雇用を減らすこともありませんでした。逆に、経営の工夫と社員のやる気向上によって、労働生産性が上がったことが確認されています。

 要するに、付加価値が1の企業が2まで付加価値を上げて、対応しているのです。これは、動かざる証拠と言ってもいいでしょう。

 最低賃金の引き上げと国全体の生産性向上との因果関係を否定するのは、この分析の存在を知らず、経営者・労働者の努力を見落としているのだと思います。
 最低賃金の引き上げと生産性向上に関しては、海外の研究ですでに因果関係があることが徹底的に解明されています。統計を使い、大学で検証もされており、完璧な分析の結果が出されています。議論するなら、こういった科学的根拠を否定し、イギリスでできたことがなぜ日本でできないかを説明する理屈が必要となります。

 私は、日本が人手不足である以上、最低賃金を上げれば労働生産性が上がるだけでなく、国全体の生産性も上がると考えています。
■「最低賃金アップで生産性は上がらない」は古い考え方

 海外では最低賃金を上げることによって、労働生産性が上がることも検証されていますし、さらに肝心な「失業への影響」「既存企業による付加価値向上」も確認されています。

 海外の実証研究によってわかったのは、最低賃金を引き上げると国全体の生産性が上がるか上がらないかという議論を突き詰めていくと、その最大のポイントとなるのは、失業率にどのような影響が出るかということです。
 新古典派のエコノミストたちは、最低賃金を引き上げていけば、その分だけ失業者が増えるという説を唱えていました。

 しかし、海外の実証実験によって明らかになった事実は、最低賃金を引き上げても、新古典派が言っていたようには失業率は上がらない、それどころかむしろ下がるということです。

 なぜかというと、新古典派のエコノミストの説は、労働市場が完全に効率的であることを前提としているのですが、現実の労働市場は完全に効率的ではないからです。このこともすでに証明されています。交渉力の弱い人がいたり、転職のための情報が不完全だったり、転職する障害があったりすることなどが、労働市場が完全効率でない理由として挙げられています。
 そもそも、今まで日本でも最低賃金を引き上げてきましたが、だからと言って失業率が上がったという事実もデータも存在しません。最低賃金の引き上げに関して、あたかも初めての試みのように論じられるのもおかしな話です。

 最低賃金引き上げの話をすると、必ず韓国の失敗例が持ち出されますが、繰り返し繰り返し書いているように、韓国はこの2年間に約30%も最低賃金を引き上げています。海外の学者は、単年で12%以上引き上げることは危険であると結論付けていますし、そもそも私は日本では毎年5%ずつ引き上げることを提言しているので、韓国の例は関係ありません。
■急増する社会保障負担を支えられる政策を

 人口減少・高齢化の進展という危機を迎えている日本は、それに対応するために、国による大胆な対策が求められています。このことは疑う余地のない事実です。

 どんな対策が必要なのかという、この国にとって極めて重要な議論をしようとしているのですから、しっかりした分析が不可欠です。建設的ではない議論をしている場合ではないのです。

 繰り返しますが、日本は今、人口減少という未曾有の国難に直面しているのです。今までどおりの経済政策で済むはずがなく、国による抜本的な対策が必要不可欠なのです。
 私の提言も、すべてが正しいとは思えません。しかし、いたずらに根拠のない反論を繰り広げるのではなく、私の提言をたたき台に議論を深め、磨きをかけて、対応策を練り上げるほうが何十倍も建設的です。

 国がタイタニック号のように沈みかかっているというのに、「沈むと思う・思わない」「氷山にぶつかったから沈む」「氷山にぶつかったことと、船が沈むことの因果関係はどうだ」なんて、のんきな議論をしている場合ではないのです。
 最低賃金を引き上げれば、労働生産性は確実に上がります。さらに私は、人手不足に陥る日本では失業率は上がらずに、国全体の生産性も上がると考えています。この点では、私は日本の経営者と労働者の対応力を信じています。

 この挑戦を否定するのなら、激増する社会保障を負担できるようにするための、具体的な代案を示していただきたいです。その場合、どうすれば日本の経営者全員が真剣かつ継続的に生産性向上に努めるか、その方法が問われています。
 その際は、「国は生産性向上のための整備だけをして、やるかどうかは経営者に任せる」という性善説だけはやめていただきたいです。今まで30年間、このやり方には実績が伴っていないのですから。

 最低賃金の引き上げは、日本経済に対する刺激策です。刺激がないと経営者は対応しないということは、今までの30年の歴史からわかったことです。それを理解していただければと思います。
デービッド・アトキンソン :小西美術工藝社社長

最終更新:7月19日(金)5時10分

東洋経済オンライン

 

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