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広島の「平和活動」に感じる微妙な矛盾と残念さ

6月9日(日)5時50分配信 東洋経済オンライン

広島に移り住んだ外国人の筆者が広島の平和活動に対して思うこととは(筆者撮影)
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広島に移り住んだ外国人の筆者が広島の平和活動に対して思うこととは(筆者撮影)
 どの都市もたいてい、わかりやすいかどうかの違いこそあれ、苦難や理不尽の遺産を抱えている。しかしそれらを自らのアイデンティティーの礎としてきたり、その対応として「平和文化」を展開させてきたりした都市はあまりないだろう。

 広島と長崎はどちらも、平和文化を都市の理念として掲げており、核兵器やそれが世界に及ぼす脅威についての学びと主張の中心地となっている。アメリカ人である私は、この平和文化、「武器で解決できない問題はない」という自分の母国の考え方に対するアンチテーゼとしての平和文化に興味を持つあまり、2016年に広島へ移り住んだ(よってこれ以降の記事が長崎に触れないことについてはどうか目をつぶっていただきたい)。
■「原爆と核兵器は別のテーマ」

 移り住んだのは「刺激的」と言えるタイミングだった。ちょうどアメリカと北朝鮮の間の緊張が激化し始めた時期で、2017年9月には、北朝鮮のミサイルが北海道上空を通過し、2018年1月には、ハワイでミサイル警報の誤報騒動があった。2017年の夏にはまた、国際的な軍縮運動の具体的な成果として、核兵器禁止条約(TPNW)が発効した。もっと最近では、近代兵器や中距離核戦カ全廃条約破棄の話題が、核兵器関連のニュースを支配している。
 広島は一見すると、こうした活動の「中心」にあるように見える。が、実際に移り住んでじっくり観察してみると、広島は往々にしてその政治的発言力を無駄にし、持続可能な社会運動のコミュニティーを作り上げようとする自らの試みを妨げているようにも感じる。誤解を恐れずにいえば、広島の平和文化は、矛盾があるように感じる。

 「原爆を政治問題化することはできません」と匿名希望のAさんは言う。「原爆と核兵器は別々のテーマだという感じです」。
 広島で最もよく耳にする言葉の1つに、「伝える」がある。原爆の現実を語り伝えていくという意味だ。「しかし何を目標として私たちは『伝える』のでしょう。広島はその目標を見失っているように見えます」とAさんは語る。表向きのその目標は核廃絶だが、進もうとする道筋が明確ではない。広島市と平和活動を行う機関は、最終的なゴールは「核兵器の廃絶」としているが、言っていることとやっていることにギャップがあることが少なくない。
 核兵器に関する日本の姿勢は、緊張関係を1つの原理としている。橋渡しをするという言い方をしながらも、日本政府は核兵器廃絶に乗り気でないように見える。むしろ、アメリカの核の傘に頼りたいところだろう。県や市のほとんどの政治家は、政府の路線に従いつつ、市の過去にも敬意を払おうと、その微妙なバランスを維持している。結果として、核兵器廃絶への即時行動――具体的には日本が核兵器禁止条約(TPNW)に署名して批准する――を求める市民の願いは、実際の行政者たちの行動には反映されない。
 【2019年6月12日15時21分追記】当記事は英語で取材、執筆されており、初出時、福岡氏のコメントに誤訳がありました。下記のように修正いたしました。

 力強い言い回しを駆使しながらあまり結果が出ていないのは、政治家たちだけに限らない。元ユース非核特使の福岡奈織氏によれば、「被爆者も含めて広島の人々は原爆体験を語りますが、その際必ずしも確固たる成果を思い描けているわけではありません。聞き手からは感情的な反応が返ってきますが、それは必ずしも社会的な変化を生むことにはつながっていません」。
 私はこの現象を直に目撃している。現地のNPOでインターンをしていた頃、海外からの訪問者たちに説明したり街を案内したりするさまざまな機会があった。彼らは敬意を払いながら平和記念資料館を見て回り、被爆者たちの証言に耳を傾けた。あるとき、終日ツアーの最後に、私の上司がアメリカから訪れた大学生グループにその日に学んだ内容についての感想を求めた。その多くが、「そうですね、広島に起きたことは悲しいことですが、核兵器は残念ながら存在しているのです」というようなことを言った。
■「伝えること」に感じる限界

 もちろん誰であれ――とくに核兵器は自分たちの安全を守るために不可欠だとつねに教えられてきた者たちにとっては――数時間でその思考をがらりと変えるのは難しい。しかし、その学生たちは私に、訪問者たちに提示された「広島」は必ずしも、核兵器廃絶が可能であると、ましてや一般の人たちがその実現に協力できると感じさせるものではない、と気がつかせた。

 被爆者たちの証言は間違いなく力を持つ。目下、世界で起きている軍縮の波は、核兵器が招く人道的被害に焦点を当てているが、身をもって体験している被爆者より鮮明にこれについて語れる人たちはいない。しかし、証言だけが核廃絶の「ツール」ではない。
 TPNWの発効を支援した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が2017年にノーベル平和賞を受賞した後、ICANのさまざまなスタッフや支持者たちが広島を訪れ、現地組織のイベントやネットワークで話をした。核兵器に対する感情ではなく論理的な議論に触れられただけでなく、ICANが活力に満ちたキャンペーンを推し進めるためにいかに現実的な戦略――ロビー活動や大企業に対する核関連事業の撤退要請、前向きなイベントの開催、ネットで目を引き続ける努力――を駆使したかを知り、力を与えられた思いだった。
 その6カ月ほど後に、再びアメリカの大学生と教授たちのグループに広島市内を案内する機会を得た私は、現在のグローバルな核廃絶運動についての短い話でその日を締め括ろうとした。学生たちが私と同レベルの積極性を共有していたかどうかは別として、彼らは関心を持ったように見え、多くの質問をしてきた。

 しかし、後で教授の1人が、私が「自分の見解」についてこれほどあからさまに語ったことについて驚きを表明した。おそらく、TPNWやICANの活動を説明するのは、政治的姿勢を示す行為なのだといいたいのだろう。その教授が、自分の生徒たちには1945年の認識から逸脱することなく広島旅行をして欲しいと期待していたのは明らかだった。
 もし人々が歴史の教訓のみを期待して広島を訪れるのなら、そしてそれが現地の組織が提供できるすべてだとするならば、原爆と2019年における核兵器問題がそれぞれ独立した議論となるのは不思議なことではない。しきりに繰り返される「私たちができるのは、伝えること」は、広島がその目標を達成するのに十分なのだろうか。

 広島の平和活動の中で、「伝える」の次によく耳にする言葉は「継承する」だろう。被爆者たちが老いるにつれ、核兵器が使われると実際に何が起きるのかを世界に伝えていかなければならないとのプレッシャーが、若い世代に増している。
 しかし、広島の平和活動には、厳然とした世代ギャップがある。イベント参加者で最も多いのは退職者たちで、次いで高校生や大学生だ。限られた数の市民社会団体は往々にして似たような組成で、経済的に自律した年輩スタッフと、学生インターンから成っている。20代、30代、40代の現役世代はみんなどこへいってしまったのか。

 「ほとんどの場合、広島の平和関連の仕事で生計をたてるのは無理なので、市民社会が発達することはありません」。大学非常勤講師であり、元「プロジェクト・ナウ」のメンバーの黒住奏氏は言う。若い人々が、原爆や核兵器廃絶関連の仕事をすることに対して完全に無関心なわけではない。ただ、十分な経済支援がないのだ。フルタイムやパートタイムで仕事をしながらボランティアに携わる人々もいるが、多くはやがてもっと収入のいい仕事を探すことになるか、燃え尽き症候群に陥る。
■簡単ではない「継承」

 世代ギャップを埋める若いメンバーたちの数が不足し、原爆の理解の仕方や語り方が分岐し続けている。「被爆者たちは、若い人々に自分たちが実際に見た広島の地獄をイメージしてほしいと思っています。でも若い人々にそれはできない。若い人たちはまた別の方法で理解しようとしています」と福岡氏は言う。

 「若い人々は、年老いた世代の気持ちを思い遣って『継承』について語ります。でも、被爆者たちは時にそれを好ましく思わないことがあります。青少年にスポットライトがあたるのが。原爆を体験したのは被爆者たちなのであって、彼らはまだ亡くなってはいないのですから」。しかし、若い人たちは時に、先人たちに対する敬意と、自分たちのやり方で参加したいという欲求とのはざまに立っている。
 原爆や核兵器問題にはまた、イメージの問題も絡む。私が海外からの訪問者に見た反応と同じく、1945年の原爆に大きく正面から焦点を当てることで、時に現地の人々を力づけたり活力を与えたりするのを損なう結果となってしまうことがある。例えば、広島市内の学校で毎年行われる平和教育の授業では、原爆を怖いと感じ、それについて学びたくないとの思いになる生徒もいる。

 皮肉にも高校を卒業する頃までに、「子どもたちはその話に過度にさらされるため、原爆はあまりにも普通のことになってしまう」と黒住氏は語る。核兵器を、現実問題に直結した興味を引く社会問題としてとらえる代わりに、彼らの中には、原爆に伴う重苦しいイメージのために「平和アレルギー」を起こす者もいる。
 ICANの「キャンペイナーズ・キット(活動家のツール1式)」には、楽しく行うことが人々のモチベーションと関与の維持につながると書いてある。

 もし広島の公共機関、市民団体、学術機関が自分たちの使命を次世代に伝えていきたいのであれば――それが原爆の現実を伝えることによってであれ、核廃絶運動を前向きに推進することによってであれ――こうした機関や団体は、伝える先の次世代が、広島の平和文化への自分たちの貢献を楽しむと同時に、生計を立てられる環境作りをする必要がある。
■広島はまだ矛盾を調整することができる

 私がこの記事を書くための情報を収集するときに話をしてくれた誰もが、若い世代が次第に、原爆を単なる1つの過去にすぎないと考えるようになりつつあることを憂慮していた。だが同時に、多くの人が、広島がいかに発展を続けていくことができるかに希望を抱いていた。おそらく広島は、まだその矛盾を調整することができる。

 広島市民は、核廃絶に関して次第に積極的かつ戦略的になっていくこともできる。その1つの事例が、今年結成した、ボランティアで運営するICANの提携組織「核政策を知りたい広島若者有権者の会(カクワカ広島)」だ。彼らはTPNWへの日本の支援を活性化するために、中国地方の国会議員に接触している。
 また、広島県が立ち上げた夏期プログラム「核兵器と安全保証を学ぶ 広島-ICANアカデミー」は、原爆と核兵器廃絶を明確に結びつけようと言う試みではないだろうか。

 広島は時として「内向き」になることもあるが、広島だけでなく、世界中にいる「グローバルヒバクシャ(広島・長崎の被爆者だけでなく、原発事故や核実験、ウラン鉱山などでの被爆者)」に対する関心はどんどん高まっている。福岡氏は、広島以外の核兵器や戦争被害者との関係性に対する理解を深めるためにも、平和教育を発展させ続ける必要があると語る。「広島はつねに語り続ける場というのではなく、もっと耳を傾ける場になればすばらしい」と同氏は言う。
 文化とは時と共に変わり続けるものであり、広島の平和文化もその例外ではない。その文化や関連機関をどのように変えていくか、そして、どういうメッセージを発していくかは広島にいる人たちにかかっているのである。
アナリス・ガイズバート :翻訳者、フリーランスライター

最終更新:6月12日(水)15時22分

東洋経済オンライン

 

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