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リニア開業「8年後」、長野・飯田の歓迎と戸惑い

5月23日(木)5時20分配信 東洋経済オンライン

飯田市の東隣、喬木(たかぎ)村に立てられたルート表示杭=2019年4月(筆者撮影)
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飯田市の東隣、喬木(たかぎ)村に立てられたルート表示杭=2019年4月(筆者撮影)
 リニア中央新幹線は2027年の品川―名古屋間の開業へ工事が進む。時速500km、最短所要時間40分、スーパー・メガリージョンの形成――。多くの話題を呼んでいるにもかかわらず、構想や沿線の知見が空白だった筆者は2019年4月下旬、縁あって長野県飯田市と近隣を初めて訪れた。

 品川から約180km、同市には「長野県駅」(仮称)が建設され、品川と45分で結ばれる。地元がうたう「標高差2700m、日本一の谷地形」に囲まれて、工事の難易度の高さ、直面する課題の多さを垣間見た。リニアは整備新幹線にも増して将来像の描き方が難しい。沿線の素顔と「8年後」に向けた模索を報告しよう。
■公共交通の「命綱」、高速バス

 青森空港から県営名古屋空港へ飛び、名古屋・栄のバスターミナル「オアシス21」で飯田行きの高速バスに乗り換えた。1日15往復、片道2時間前後で両都市を結ぶ。飯田市はJR飯田線が走るものの、特急は1日2往復、愛知県東部のJR豊橋駅から2時間半。長距離の移動手段としては選べない。東京・新宿便は1日17往復で片道4時間余り、長野便は8往復で3時間余り。地元の人々は高速バスを「命綱」と呼ぶ。
 オアシス21には切符売り場も乗車方法の手がかりもなく、ネットで調べると予定の便は「満席」の表示が。慌ててバス事業者に電話し、増発2号車に乗れることを確認できた。満席の1号車を眺めながら、「命綱」という言葉をかみしめた。

 飯田市は長野県の南端、下伊那地域の中心都市だ。14市町村で構成する「南信州広域連合」の事務局も務める。南アルプス(赤石山脈)と中央アルプス(木曽山脈)に挟まれた伊那谷の南側に位置し、人口は約10万人。同市に本社を置く地域紙「南信州新聞」にはリニア担当記者もいる。
 市のサイトなどによれば、室町時代・13世紀に飯田城が築かれ、戦国期の動乱を経て、1672(寛文12)年に堀氏2万石の城下町となって江戸期を過ごした。1876(明治9)年に長野県に編入され、現在に至る。

 城下町としては小ぶりなせいか、地元では「交通の要衝」「商都」としての顔が意識され、自立の気風も強いという。

 「古くは東山道、近世以降は三州街道、遠州街道などの陸運や天竜川の水運にも恵まれ、東西あるいは南北交通の要衝として繁栄し、経済的にも文化的にも独自の発展を遂げ……」と市のサイトは記す。県庁所在地・長野より東京や名古屋への高速バスが多いことも、この気風と関わっているかもしれない。
 各県ナンバーの自動車が行き交う中央自動車道を名古屋から東へ向かう。飯田市は鉄道網では不便だが、中央道が市域を横切り、東西の往来は活発だ。曇天ながら、雪の残る中央アルプスの恵那山、咲き誇る山桜や赤・白・ピンクのハナモモに見とれるうち、ソメイヨシノが満開の飯田市に到着した。特産のリンゴの看板が各所に立つ。

■中心市街地は「丘の上」

 車窓から見渡すと、街全体が丘陵や緩斜面に載っていて「平らな土地」がほとんどない。伊那谷を南流する天竜川の右岸(西側)、河岸段丘沿いに市街地が広がる様子は地図からもうかがえたが、訪れて初めて、地勢がすとんと腹に落ちた。地元の人々は中心市街地を「丘の上」と呼ぶ。
 飯田市は1947(昭和22)年の大火で中心市街地のほぼ全域を焼失した。その復興のシンボルとして整備された「りんご並木」が街並みに彩りを添える。

 都市規模の割には街路樹が整い、起伏に富んだ地形も手伝って、箱庭のような親しみを覚える。この起伏と、等高線をなぞるように屈曲したJR飯田線や主要道路が形づくる景観は、「リニア」(直線状)と対極のイメージだ。そして、この地形がリニア新駅の立地にも影響した。

 今回の訪問は、2018年12月に愛知大学・三遠南信地域連携研究センターが豊橋市で開いたフォーラムがきっかけだった。筆者が「新幹線学」に関する交流研究成果を報告した後、声をかけてくれたのが、飯田信用金庫勤務の加藤修平さんだった。語らううち、訪れたことのないリニア沿線を見てみたいと思った。
 同信金は下伊那地域に23店舗を展開し、シンクタンク「しんきん南信州地域研究所」を擁する。2014年7月、着工に合わせてリニア対策室を設置し、2017年にはリニア対策課に改組した。県内外のリニア関連情報の収集や分析、産業支援、開通後の地域振興策の検討にあたり、毎月発行する景況リポート「飯伊地区産業経済動向」に約30本のリニア特集記事を掲載してきた。加藤さんは一連の活動の中心人物だ。

 加藤さんの案内で同市と東隣の大鹿村、喬木(たかぎ)村の工事現場や建設予定地を回ることができた。
 「長野県駅」は、JR飯田駅の東北東3kmの天竜川近く、中心市街地より低い河岸段丘上に建設される。リニアは川の東岸でトンネルを抜け、天竜川橋梁を渡って長野県駅に至る。駅から西側はすぐに段丘崖からトンネルに入り、中心市街地の北をかすめて名古屋へ向かう。

 駅の建設予定地一帯はのどかな住宅地と畑が広がり、ハナモモが咲く緩斜面に水路の水音が響く。「ウグイスの声で目覚めるのは幸せだよね」。地元の方はこう言って目を細めた。巨大開発の存在を示すものは視界に入らない。
 すると、加藤さんが市道に埋め込まれた小さなプラスチック鋲を指さした。「これが建設予定地の標識です」。地図を頼りに、駅の整備計画と目の前の景観を何とか重ねると、立ち退きを余儀なくされる家々が像を結んできた。

 建設予定地の上方に、小さな祠が見えた。付近の50世帯ほどが長く守り続けてきたといい、地域に根を張った土地柄がしのばれる。集団移転に際して、リニア新駅前に、伝統芸能を残す場の設置を求めた集落もあるという。
本州北端の新幹線駅・奥津軽いまべつ駅が立地する青森県今別町(2016年3月21日付記事「若者を惹きつける『日本一小さい新幹線の町』」参照)のように、いつの日か、全国から集う若者が地元の伝統文化を守る場面もあるのだろうか。

■祝賀ムード薄い一因は…

 リニアの長野県内ルートは当初、3案が示された。展開によっては「長野県駅」がほかの市に立地する可能性もあった。曲折の末に現行ルートに落ち着き、飯田市に「長野県駅」が建つことが決まって、地元はJR飯田駅への併設を求めた。
 しかし、地形上の制約などから実現せず、市内の喜びはややしぼんだ。予想に反して、市中心部には意外なほど「リニア」の文字は見当たらない。まだ開業まで8年あるとはいえ、祝賀ムードが漂っていない一因は、駅の郊外立地だという人もいる。

 リニア新駅の予定地周辺では、先行して、アクセス道路の建設準備が進む。中央自動車道とスマートICで結ぶ計画という。市街地の標高差が大きく、関連する基盤整備も大がかりになる。加えて、リニアの駅所在地は、新技術や新たな社会システムの格好の実験場、ひいてはショーウインドウとなりうる。地元や産業界は各種の取り組みを加速させており、自動運転のシンポジウムなども開催されている。
 飯田市は「リニア推進部」を設置し、南信州広域連合が2010年に策定した「リニア将来ビジョン」をベースに「小さな世界都市」「多機能高付加価値都市圏」を掲げて、リニアの広域的活用策を検討している。リニアに限らず、日常的な新幹線の活用は「駅勢圏」、つまり駅利用者が住むエリア、具体的には商圏や通勤・通学圏が基本的な枠組みとなる。市域に加え、圏域での検討をどれだけ丹念に進められるかが、地域づくりの鍵を握る。
 もちろん、「長野県駅」の名が示すように、最終的には「県域」での活用が課題だが、長野県は広大なだけに難易度が高い。地元は克服のため、リニア新駅から約300m離れた地点への飯田線新駅の建設と、飯田線の高速化を求めている。

 飯田市から、東隣の大鹿村のリニア工事現場に向かった。

 村内を通る南アルプストンネルは長さ約25km、土かぶり(トンネル上の地盤の厚さ)が最大1400mに及び、世界有数の難工事という。車で約1時間、工事のため新造された真新しい道路とトンネルを挟み、山あいの道路を抜けて、村中心部に近い大西山崩壊礫保存園に着いた。遠くに少しかすんだ赤石岳が美しい。
 この保存園は、1961(昭和36)年6~7月の集中豪雨がもたらした「36災害」の被災地の1つだ。突然の山体の崩壊で42人が亡くなった。西南日本を縦断する大断層・中央構造線にも面している。目の前に広がる赤石山脈と、それを形づくり、動かしている大地の力に畏怖の念を覚えた。そのただ中に長大なトンネルをうがつ営みへの敬意とともに、どこか腹の底が冷えるような感覚もが湧き上がってくる。

■「桃源郷」で進む大規模工事
 村の中心部から山中のトンネル工事現場を目指す。車2台がすれ違えない幅のつづら折りの道もある。

 排出される多くの残土が、限られた道路を通って大型ダンプで運ばれつつあり、生活や環境への影響を懸念する異論が強いという。路傍にはいくつも「リニア反対」の看板が立ち、飯田市内とは空気感が異なる。残土の多くは最終的な用途や処分地が決まっていないといい、行方が気がかりだ。

 やがて、砂利道の向こうに、トンネル工事現場への入り口が見えた。完成後には「非常口」として使われる予定という。トンネル工事のため、工事現場そのものを見ることはできなかったが、時が止まった桃源郷のような山村の景色と、文明の先端をいく「リニア」のコントラストが、頭と心に納まりきらない。
 リニアがもたらす正負の影響について考え込みながら、別の工事現場入り口を車窓から眺め、大鹿村を後にした。多くの土砂が積み上がった、残土の仮置き場をいくつも通り過ぎた。

 今回の訪問では「次はぜひ、新宿からバスで。私たちがリニアを切望する理由がわかるから」と何人かに声をかけられた。新宿―飯田間は4時間余り。北海道新幹線に乗れば、東京から新函館北斗に行ける時間だ。

 6月には飯田市に近い豊丘村を訪ねることが決まり、このルートをたどるつもりでいる。
 地元の人々も、「リニア時代」が何をもたらすのか、まだ模索を始めたばかりだ。「リニアはどこまで新幹線と呼べるのか」という問いを何度か向けられた。時速500kmで走行し、トンネルが86%を占めるリニアは、半ば飛行機のような交通機関と言える。

 品川―名古屋間の乗客はともかく、途中駅に降り立つ人々は、どのような目的やまなざしで、どんな「旅」「移動」を経てくるのか。言葉を交わした地元の方から、リニアに対する困惑や、恩恵に否定的な声を聞く機会もあった。大鹿村の工事現場、地元が参考にすべき新幹線活用のノウハウ、そして目指すべき将来像――。いろいろなものが「まだ見えない」状態にあることがわかった。
■ダイヤや駅名、議論はこれから

 2027年開業を危ぶむ指摘もある中で、地元として、工事や作業への異論にどう向き合うか。禍根を残さない対処方法や解決方法を見いだせるのか。

 将来的には沿線の命運を直接左右する列車ダイヤ、さらには駅名をめぐるデリケートな議論や対応が待っている。対応・対策はまだ緒に就いたばかりだ。

 筆者は小学生のころ、東北新幹線・新青森駅の立地をめぐり、地元住民として反対運動の渦中にいた。育ったコミュニティーを新幹線建設によって壊されてもいる。それだけに、地元がさまざまな異論に、互いにどう向き合い、将来を見いだしていくか、また、地域づくりの過程で工事主体のJR東海とどのような関係性を構築していくか、注目している。
櫛引 素夫 :青森大学教授、地域ジャーナリスト、専門地域調査士

最終更新:5月23日(木)5時20分

東洋経済オンライン

 

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