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日本人が驚くドイツ人の「空気を読まない」気質

4月23日(火)11時00分配信 東洋経済オンライン

「自分中心主義」であるドイツでは、他人の感情よりも規則や理屈を重んじる考え方が当たり前なのです(写真: MIyabi-K/PIXTA)
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「自分中心主義」であるドイツでは、他人の感情よりも規則や理屈を重んじる考え方が当たり前なのです(写真: MIyabi-K/PIXTA)
日本人と比べて、他人の感情を尊重したり、まわりの空気を読んだりしないドイツ人。そんなドイツ人特有の気質が醸成された背景を、在独ジャーナリストの熊谷徹氏が解説します。
 ドイツに29年住んで、この国ではもはや良好なサービスを期待しなくなった。「ここはドイツなので、よいサービスはない」と思うようにしている。

 以前、食堂の店員がコースターを客の前に手裏剣のように投げた姿を見かけたことがある。その場にいたある日本人は「ドイツに5年間住んでいるが、こうした態度には、いまだに慣れない。客に対して最低限の思いやりがない」と憤慨していた。
 多くの日本人は、目の前に物を投げられると「邪険に扱われている」と不快に思う。繊細な客の中には、犬や猫の前に餌を投げる情景を連想する人もいるだろう。

 しかし私はこのとき、店員がコースターを客の前に投げるのを見てもまったく怒りを覚えなかった。その理由は、「この国のサービスというのはこんなものだ」と悟っていたからである。以前私は会議の席で、ドイツ人が自分の名刺を客に1枚ずつ手渡さずに、テーブルの上に投げたのを見たことがある。名刺すら投げる人がいるのだから、飲み物のコースターを投げられたくらいでは驚かない。冷静に考えれば、それで何か不都合なことが起こるわけではない。あくまで気分の問題である。
■サービスに期待してはいけない

 つまり、サービスに対する期待度を下げてしまえば、サービスが悪くてもあまり不快に思わない。「自分はお客様なのだから、よいサービスを受けて当たり前だ」と思い込んでいると、サービスが悪いと頭にくる。腹を立てると、その日は損をしたような気がして楽しくない。いやな思いをするのは結局自分である。

 私もドイツへ来た1990年ごろには、サービスの悪さについてしばしば腹を立てていた。だがこの国に長らく住んでいるうちに、「ドイツだけでなく、日本から一歩外へ出るとサービスは基本的に悪い」という考え方が身についてしまった。いくらじたばたしても、他人の行動や考え方を変えることはできないので、自分の感受性を変えたのだ。サービスに対する期待度を下げると、スーッと気持ちが楽になる。私の態度について、「悪いサービスの前に降伏したのか」とあきれる人もいるかもしれないが、このほうが精神衛生上、メリットが大きい。
 レストランで店員がなかなか注文を取りに来ず、待ちぼうけを食わされても「経営者が人件費を節約しようとしているので、従業員の数が足りないからすぐに注文を取りに来られないのだろうなあ。かわいそうだなあ」と思うくらいだ。

 大半のドイツ市民も、この国のサービスについて「こんなものだ」と思っており、際立って悪いとは感じていない。多くのドイツ人は日本に行ったことがないので、日本のような「サービス先進国」があることを知らないからだ。
■ドイツを覆う強烈な「個人主義」

 私がドイツ人から高い水準のサービスを期待しないもう1つの理由は、サービスが未発達である背景に、彼らの強烈な個人主義があることを知っているからだ。

 ドイツ人の店員は客に対してへりくだらない。客に向かってペコペコせず、つねに堂々としている。ドイツ語でサービスに相当する言葉はDienst(ディーンスト)である。この言葉の動詞はdienen(人に仕える、サービスをする)だが、派生語にDiener(従者、下僕)という言葉もある。つまり、ディーンストという言葉は客との目線の違いを感じさせるので、個人主義が強いドイツ人には聞こえがよくない。誇り高きドイツ人たちは、人に仕えること、サービスをすることが得意ではないのだ。
 さらに、ドイツ人は日本人ほど他人の感情を重視しない。感情よりも規則や理屈を重んじる。ドイツ語ではこういう人のことをコップフメンシュ(Kopfmensch=頭を優先する人、感情よりも理屈を優先する人)というが、この国にはコップフメンシュが多い。

 例えば、アンゲラ・メルケル首相はコップフメンシュの典型だ。彼女は政治家になる前は、物理学者だった。メルケル氏はどんな状況でも感情を顔に出さず、冷静沈着に振る舞うことで知られる。演説の内容も理詰めで、聴衆の感情に訴えかけるような話し方ができない。感情よりも合理性を重んじる典型的なドイツ人である。
 日本人のAさんはドイツ人の知り合いに「こんなひどい目にあった」と自分の体験を話した。その知り合いはAさんに慰めの言葉をかけるどころか「そうですか。自分はそんなひどい目にあわないでよかった」と言っただけだった。他人の感情への配慮という意味では、不可解な反応である。もしもこのドイツ人がAさんの感情に気配りしていたら、こんなことは絶対に言わないだろう。忖度社会・日本に慣れた人の目には、ドイツ人の態度は不思議なものに映るだろう。
 他人に対してきめの細かいサービスを行うには、他人の感情に配慮すること、空気を読むことが不可欠だ。「自分が客だったら、こういう状況のときに何を求めるだろうか、どう感じるだろうか」とつねに先回りして考えなくては、よいサービスはできない。

 だが、大半のドイツ人のモットーは個人主義、自分中心主義だ。集団の和を重んじる社会ではない。このため、忖度したり空気を読んだりすることが苦手だ。ドイツの学校や家庭でも、他人の感情に配慮するよりも自分の考えを率直かつ正直に述べることのほうが重視される。ドイツ人の間に、他人の心を傷つけるような、歯に衣を着せない発言を平気でする人がときどきいるのは、そのせいだ。
 人間にはみな得意・不得意がある。例えば、私は音痴なので歌を歌えないし、楽器も弾けないし、ワルツなどのダンスもできない。そんな人間にうまく歌を歌ったり、楽器を弾いたり、ダンスをしたりしろと言うほうが無理である。それと同じように、私はドイツ人のメンタリティーがサービスに向いていないことを知っているので、初めから日本のような高水準のサービスは求めない。そうすれば、悪いサービスを受けてもイライラしないのだ。
■「24時間営業」がなくても困らない理由

 ただし、サービスの水準が低いためにドイツで非常に困ることがあるかというと、そういうわけでもない。例えば、日本のように24時間開いているコンビニエンスストアがなくても、生活には困らない。深夜から早朝まで、好きなときにおでんや鶏の唐揚げ、電球、靴下、のし袋から漫画本まで買える店がたくさんあるのはすごいことだとは思うが、そういう店がなくても、それが当たり前になれば、別に不便は感じない。
 ドイツでは平日の午後8時以降や、日曜日・祝日にはガソリンスタンドなどを除くほとんどの店が閉まっていることは前述したが、事前に買い物をしておけば問題はない。要するに買い物の段取りを少し変えればよいだけの話である。ドイツに来たばかりの日本人駐在員は戸惑うだろうが、時間が経てば慣れていく。

 ホテルでも、深夜に腹が減ったときのおにぎりなどは準備されていないし、ズボンのファスナーが壊れたときに無料で直してくれるサービスもない。1990年代の後半に東京のあるホテルに泊まったときには、エレベーターの前に和服姿の従業員が立っていて、客のためにエレベーターを呼ぶボタンを押してくれた。こんなサービスもドイツではありえない。
 ドイツ人にとっては、このようなサービスよりも宿泊代が安くなることのほうが重要だ。ドイツは社会保障制度が充実した高福祉国家である。企業は社会保険料の一部を負担しなくてはならないので、人件費が高くなる。客のためにエレベーターのボタンを押す係を雇うと、そのための人件費が宿泊料金を押し上げる。ドイツ人の目には、そのような仕事は「無駄」と映る。そして「過剰サービスを削って、そのぶん宿泊料金を安くしてほしい」と考えるのだ。
熊谷 徹 :在独ジャーナリスト

最終更新:4月23日(火)11時10分

東洋経済オンライン

 

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