ここから本文です

実は京急電鉄の「兄弟」、養老鉄道の生き残り策

4月20日(土)5時30分配信 東洋経済オンライン

養老鉄道は2019年4月27日に全線開通100周年を迎える(筆者撮影)
拡大写真
養老鉄道は2019年4月27日に全線開通100周年を迎える(筆者撮影)
 今年1月21日に京急川崎駅で行われた「京急開業120周年記念式典」。京急電鉄の原田一之社長をはじめとする京急関係者が多数参加したが、その中に見慣れぬ顔があった。4月27日に全通100周年を迎える養老鉄道の原恭社長である。

 養老鉄道は桑名(三重県桑名市)と揖斐(岐阜県揖斐川町)を結ぶ全長57.5kmの路線を運営する近鉄グループホールディングスの子会社である。では、首都圏から遠く離れた西濃の地を走り、関西大手私鉄系の鉄道会社である養老鉄道の社長が、なぜ京急の式典に招かれたのだろうか。
 実は両社には、ともに大垣市出身の実業家である立川勇次郎(1862~1925)が創業者であるという共通点がある。

■立川勇次郎とはどのような人物か

 立川勇次郎は、明治から大正にかけて鉄道のほか電力会社の創設など、電気に関わるさまざまな事業を立ち上げた実業家だ。

 江戸時代末の1862年に大垣で誕生した立川勇次郎は、24歳で東京に出て代言人(弁護士)として開業。上京後3年後の1889年に、東京市内において「蓄電池式電気鉄道」の敷設を出願している。
 このときの事情について、立川勇次郎本人は「私が電気のことに明るい為にやった訳ではありません」(『人物で読む日本経済史9 工学博士藤岡市助伝』)と語っている。電気鉄道の敷設を計画していた人物から出願の手続きを依頼され、法律家として関与したのが、その後に電気鉄道計画に携わるきっかけだったのだ。

 結局、この計画は時期尚早として却下されたが、1890年に開催された第3回内国勧業博覧会で、後に「日本のエジソン」とも呼ばれる電気工学者の藤岡市助らによって電車の試運転が成功し、「軌道条例」が制定されると、電気鉄道敷設の機運が高まる。
 こうした状況を受け、1893年に再出願したものの、さまざまな問題から東京市内の電気鉄道計画は進まなかった。そこで、東京市外で「関東ニ於ケル電気鉄道ノ標本ヲ実験」(『京浜急行八十年史』)し、企業としての電気鉄道事業の成功例を示そうということで、1899年に六郷橋―大師間の営業距離約2kmで開業したのが「大師電気鉄道」。すなわち、京急電鉄の創業路線である。

 その後、立川勇次郎は大師電気鉄道から名称変更した京浜電鉄の専務取締役(現在の社長に相当)を1903年まで務めたほか、東京白熱電燈球製造(東芝の前身)取締役や東京市街鉄道(東京都電の前身)常務取締役にも就任。さらに、実現には至らなかったものの、東京大阪間高速電鉄計画にも参加している。
 このように東京での事業を成した後、晩年には郷里の西濃地方で養老鉄道(1911年設立)や、揖斐川電力(1912年設立 現・イビデン)の社長に就任し、交通・産業基盤の形成に努めた。創業当初の揖斐川電力の本店を東京の高樹町の自宅にしたことなどから、当時の立川勇次郎は、東京と大垣を行き来する生活だったのではないかと思われる。

■養老鉄道の敷設

 ところで、養老鉄道敷設に至る経緯はおよそ以下の通りである。

 「良好な水運により、物資集散地として発達した大垣の商業も、明治後半になると状況は一変し、大垣と桑名・四日市を鉄道で結び、舟運に代わる物流を作りたいという機運」(『大垣市史』)が高まる中、四日市市長や衆議院議員も務めた井島茂作が中心となって鉄道敷設免許を申請し、1897年に仮免許を得る。しかし、「当時盛んであった舟運との競合問題に苦慮するなど、工事に着手できない状態が続いた」(『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』)。
 その後、1910年の軽便鉄道法の施行により交通機関の完成奨励がなされるようになったのを契機に、同法に基づく敷設計画に変更して出願し、1911年3月に免許を取得する。7月19日には養老鉄道設立総会が開かれ、井島茂作に請われて事業に参画した立川勇次郎が取締役社長に就任した。

 そして、1913年7月31日に池野―大垣―養老間の第1期線が部分開業する。8月10日には大垣公園内で開通式が行われ、「大垣城の天守にイルミネーションが点灯されたり、花火や餅撒きなどの催しが行われたりした」(『大垣市史』)という。
 その後、第1次大戦の勃発により資材確保に苦労したものの、1919年4月27日には揖斐―大垣―桑名間の全線が開業。今年4月27日は、全線開通からちょうど100周年にあたる。

 当時は養老公園の整備や養老ホテルの建設も進められ、観光営業に力を入れていたようだ。しかし、第1次大戦後の反動不況もあり財政状況が悪化すると、養老鉄道は同じく立川勇次郎が社長を務める揖斐川電気(揖斐川電力が社名変更)に合併されることになった。これには、養老線の電化による電気の大口需要の創出という意味合いもあり、1923年に全線電化が完了している。
 1925年の立川勇次郎の死後、養老線は紆余曲折の末、1944年6月に関西急行鉄道と南海鉄道が合併して誕生した近畿日本鉄道(以下、近鉄)の一支線となる。以後、半世紀以上にわたり、近鉄養老線として運行されたが、2000年代に入る頃になるとその維持が難しくなる。

 養老線の年間輸送人員は1966年の約1684万人をピークに減少の一途をたどり、2000年代後半には700万人を割り込む。年間10億円以上の赤字を出すローカル線は近鉄にとっても重荷となった。
 おりしも、2000年3月の「鉄道事業法」の改正により、鉄道事業からの撤退(廃止)が、許可制から届出制に変更され、地方の鉄道路線の統廃合が進められた時期だった。

 沿線市町などとの協議の末、2007年に近鉄が100%出資する「養老鉄道」を子会社として独立させ、沿線自治体からの財政支援を受ける形で事業継続することが決まった。具体的には、車両・鉄道施設・鉄道用地は引き続き近鉄が所有し、列車の運行を養老鉄道が担当する、「民有民営」の上下分離方式だ。
■「1年定期」の投入

 分社化により養老鉄道本社を西大垣駅内に設置したことで、地域に密着した経営ができるようになり、養老鉄道はこれまでにさまざまな取り組みを行っている。

 その1つは2008年3月から発売開始した「1箇年通学定期乗車券」である。

 「幸いなことに、大垣周辺では公立高校の統廃合の動きが今のところありません」と養老鉄道鉄道営業部次長の山川雄一氏が話すように、養老線沿線には10以上の高校がある。そこで、6カ月定期よりもさらに割引率の高い1年定期を販売し、電車利用のお得感と便利さをアピールした効果もあり、同社の定期利用の減少率は低く抑えられている。また、沿線の海津市の中学生を対象とする美濃松山―美濃津屋間の1年通学定期券「かいづっち養老鉄道応援パスポート」も2011年3月から販売開始した。
 2017年度の実績で見ると、養老鉄道の年間輸送人員約620万8000人のうち、通学定期が約314万3000人と全体の過半数を占めている。

 「薬膳列車」の運行も養老鉄道の大きな特色になっている。地元で採れた山菜などの食材を使った薬膳料理を車内で食べられる同列車の運行は、旅行会社などへの売り込みを行った成果もあり、運行開始以降の10年間で、延べ3万人以上が利用したという。しかし、残念ながら食事を提供する店舗の都合で、2019年5月以降、「薬膳列車」の運行を一時休止することになっている。
 そのほか、近鉄時代から継続している、自転車を列車内に持ち込めるサイクルトレインの取り組みや、ユニークな企画乗車券の販売も養老鉄道の特色になっている。

 過去には、沿線のスポーツ用品メーカー「ミズノ」の工場でバット製造時に出た不適合材を利用した「バットきっぷ」や、大垣特産の枡(ます)をそのまま切符にしたものなどを販売したこともある。

 今後の予定としては、養老鉄道に最近移籍した旧東急7700系がデビューする際には、「かなりユニークな切符を用意する予定」(山川氏)だという。7700系は、ATSの置き換え等を実施し、VVVFインバーター装置の音が信号装置に与える影響などを試験した後に投入する予定だ。
■新しい事業スキームへ

 営業努力や経営合理化の結果、近鉄直営時代に比べれば赤字額が圧縮されたものの、事業環境が厳しいことに変わりはない。2008年度から2013年度でみると、養老鉄道に対して年間約9億円の支援が行われ、このうち、沿線自治体の支援限度額が年間3億円であることから、残りの約6億円は近鉄が負担した計算だ。

 このような状況から、2014年3月より沿線市町と岐阜県、三重県、近鉄、養老鉄道の間で鉄道存続やバス代替案などについての検討が始まった。
 そして同年7月、近鉄より「今後、事業環境がますます厳しくなる見通しである中、養老鉄道の運営に伴い発生する損失について引き続き負担していくことは民間企業として難しい」とし、「鉄道ありきではなく、養老線のあり方を地元で考えていただき、もし鉄道存続であれば公有民営方式による運営形態への変更を」との提案がなされた。

 こうした経緯をたどり、2018年1月1日より、新たな事業形態での養老線の運行が開始された。2県にまたがる沿線3市4町が出資して設立された一般社団法人「養老線管理機構」が第三種鉄道事業者として用地を近鉄から有償借用(租税公課分を負担)するとともに、近鉄から譲渡された鉄道施設と車両の保有・維持管理を行う。また、養老鉄道は第二種鉄道事業者として用地・施設・車両を新法人から無償で借り受けて列車の運行を行う。
 近鉄は体制変更時に一時金として経営安定化基金(養老線支援基金)の10億円を拠出したが、今後は養老鉄道の事業を毎年度補助する必要がなくなった。養老鉄道は事業利益が上がった場合は利益相当額を基金に拠出し、逆に収支がマイナスになった場合は基金による支援が行われる取り決めになっている。なお、新法人の運営経費は沿線自治体が負担し、国や県による施設の維持・更新などに関わる補助は新法人に対して行われる。

 ちなみに、この新しい事業スキームは「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」に基づく「鉄道事業再構築実施計画」(10カ年計画)として国土交通大臣の認定を受けたものであり、今後の収支均衡策として、現在多数を占める近鉄出向社員のプロパー化による人件費の削減や観光需要の取り込みなどを掲げている。
 今後、こうした施策がうまくいかなければ、沿線自治体の財政負担が大きくなり、再び廃止論争が持ち上がることになろう。

■京急が長男、養老鉄道は次男

 以上のような厳しい経営環境の中で、兄貴分にあたる京急電鉄が開業120周年、養老鉄道が全線開通100周年を迎え、両社が連携してキャンペーンなどを行う2019年は、養老鉄道にとっては首都圏のファンを増やす絶好のチャンスとなろう。

 冒頭で紹介した「京急開業120周年記念式典」には、立川勇次郎の曾孫にあたる立川元彦氏も招かれ、「勇次郎にとっては、京急電鉄が長男、養老鉄道は次男。本日の式典で、2人の息子が100年ぶりに再会したことを空の向こうで喜んでいると思う」とあいさつした。
 京急と養老鉄道という“兄弟”が連携して、どんな取り組みを打ち出すか。非常に楽しみだ。
森川 孝郎 :コラムニスト

最終更新:4月20日(土)7時16分

東洋経済オンライン

 

【あわせて読みたい】

【PR】Yahoo!ファイナンスからのお知らせ

平均年収ランキング

ヘッドライン