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「元祖サラリーマン大家」がバブル崩壊でも生き残れた理由《楽待新聞》

1月10日(木)11時00分配信 不動産投資の楽待

(写真:不動産投資の楽待)
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(写真:不動産投資の楽待)
「借金せよ。現金は持つな。不動産を買い続けよ」

バブル景気で土地価格が高騰を続けていた1980年代後半、「サラリーマン不動産投資家」の第一人者として知られる田中実さん(73)はこんなスローガンを掲げて投資用不動産を買い進めていった。ほぼ資金ゼロの状態から、フルローン・オーバーローンで区分マンションや一棟アパートなど計74室を購入。「普通のサラリーマンが無一文から10億円の資産家に」とメディアでも注目を集め、「茨木良介」名義の著書はワンルーム投資人気の火付け役となった。

しかしその後、1990年初頭にバブルが崩壊。キャピタルゲイン狙いで規模を拡大していた多くの不動産投資家が破綻に追い込まれた。そんな中、田中さんは2016年まで20年かけて6億円の借金を完済し、月100万円の家賃収入を得る不労所得生活を実現している。

今回は、サラリーマンによる不動産投資の黎明期を知る田中さんにインタビューを敢行。バブル期のワンルーム投資の実態から、いかにしてバブル崩壊を乗り切ったか、そして未来の不動産投資市況まで語ってもらった。

■1戸目は1984年

――不動産投資を始めた経緯について教えてください。

私は大手建材メーカーの営業マンとして働いていましたが、常に頭の隅で「どうしたらサラリーマンをしながら資産家になれるか」と考えていました。まず、30歳までに1000万円、40歳までに1億円の資産を作るという目標を立てたんです。

初任給は月3万円でした。寮暮らしで出費を抑え、飲みの誘いも断り続け、給料の7割以上を社内預金と自社株購入に回していた。すると、運よく自社株が値上がりし、27歳の時に800万円の貯金を手にしました。この年に結婚し、2年後の29歳の時、頭金190万円で大阪に1090万円のマイホームを買いました。

――そこまでは順調ですね。

ただその後、自社株の値上がりで味をしめ、株式投資に700万円を突っ込んだんですが、36歳までの7年間で収支はマイナス200万円。このままでは40歳で1億という目標は不可能だ、何か別の資産形成手段が必要だと思いました。

当時、マイホームの時価は2000万円にも値上がりしていたんです。ありとあらゆる経済セミナーや講演に参加し、マネー関係の本を読みあさった結果、ある結論に達しました。それが「買った物件を他人に貸し、家賃収入を借金返済に充て、値上がり益で新たに借金をして不動産を買う」ということだったんです。

――最初の物件を購入したのはいつですか?

1984年、37歳の時、世田谷区に頭金120万円で1200万円の新築ワンルームマンションを買いました。地価高騰で膨らんだ含み益でどんどん借金をしていき、翌年までに城西地区のワンルームマンション5戸を計5600万円で購入したんです。

■雪だるま式に資産が膨れ上がる

――買った不動産の時価が日に日に上昇していく時代だった。

私は当時、首都圏で立地条件の良いマンションに絞れば10年で必ず2倍以上に値上がりするという「不動産10年2倍理論」を提唱していました。例えば1000万円のワンルームマンションを頭金5%の50万円で買えば、10年後には時価2000万円に値上がりし、20倍になる計算。買ったワンルームを担保に融資を引き出し、新しい物件を手に入れる。倍々ゲーム、雪だるま式に資産が膨れ上がる仕組みを実践していったんです。

50万で1戸、100万で2戸買えるわけで、いかに自己資金を使わず、借金して資産拡大するかということに力を注ぎました。融資は5行ほどのノンバンクから金利5%程度、30年のローンを引き、ガンガン買い増していきました。当時のアパート・マンション投資の一番の基本は、赤字を出して給与所得を減額し、納めた税金を戻してもらうことだったんです。

――ワンルームを買っていたのは、投資用ワンルームマンション会社の元祖ともいえるマルコー。当時はマルコー主催のセミナーで講師もしていたそうですね。

1棟目を購入してから付き合うようになり、私が広告塔のような立場になって、北海道から沖縄まで年間100回ほどのセミナーをしていました。当時は「リースマンション」という名称で、「学生に住まいを、サラリーマンに将来の私設年金を」というキャッチフレーズでした。

あの頃は私以外にサラリーマンの不動産投資家なんてほぼいなかった。「そんな博打みたいな投資は何事だ」ということで、始めようとした人が同僚や友達、家族から猛反対されることが多かったんです。リスクが判断できない人に無理矢理やってもらうことはしたくなかったので、いつも質疑応答の時間を1時間ぐらい取って、完全に納得いった人だけ購入するという形でした。

――サラリーマンの購入熱が高まってきた時期はいつ頃ですか?

89年頃でしょうか。新宿のニューステイトメナーというマンションが、バブル景気で1000万から9500万まで10倍に跳ね上がった。私がワンルームマンション投資に関する書籍を出したら、増刷続きでかなり売れたんです。新聞や週刊誌に取り上げられ、テレビでも特集されて。自己資金がほとんどいらずに資産を拡大できる、ということでサラリーマンに人気となり、マルコーの管理戸数は2年間で3万戸以上増えました。

――まさにブームといえる状況だった。

早く買った人が得をして、遅く気づいた人はしんどくなる時代。みんな物件を買うのに、3件も4件も同時に発注を起こすんです。1戸ずつ買ってしまうと銀行に残高をチェックされて借入額が分かるので、それをされないうちにどんどん借金して複数戸を買い、1年経って3割、4割上がった時に売る、というのが流行っていた。私はそういう買い方は危険だ、将来にわたる私設年金として考えるべきだ、と警鐘を鳴らしていたんですが。

――うまく安値で拾った人はかなり儲けを出したんですね。

ただ、都心のワンルームマンションは流動性が高いので、本当に安い時期はそれほど長く続かない。瞬間的なものです。

――ワンルーム6戸を買った後はどう動いたんですか?

40歳の時、東京から大阪、九州、札幌へと全国に広がる不動産バブルを予測しました。東京を買った人が大阪を買い、大阪を買った人が福岡、札幌を買うはず。そこには時間差があるから、値上がりする前を狙ってバブルの波に乗れば、頭金なしで億単位の資産ができるのではないかと思ったのです。

そこで、城西地区のワンルームマンション6戸を担保に、大阪のファミリーマンション、博多のワンルーム、札幌のアパートと買い増していき、6億円で74戸まで規模を広げました。自己資金はほとんど使わず、98%が借入金。含み益はどんどん上昇し、見かけ上の資産が10億円に達したんです。

■地価暴落は予想していた

――その後、バブルが崩壊するわけですが、兆候や予感のようなものはあったんでしょうか。

ありました。89年頃、銀座なんかは毎日ドンチャン騒ぎで、まだまだ経済は伸びていく、という雰囲気でした。私は新聞紙上で政策金利が上がるというような話が出始めた頃、これはまずいなと感じましたが、世間的には、企業が倒産して経済が破綻するから政府が金融引き締めなどするはずがない、という空気が流れていたように思います。

――周りは楽観的なムードだったと。

私はこれから金利が上がって株価が下がり、地価が暴落すると読んでいたので「先の見えないキリギリスは滅びる」とセミナーなどでよく言っていました。書籍でもバブルは崩壊すると言いたかったんですが、出版社に「そんなこと書いたら売れなくなるからやめてください」と止められたんです。

――実際に2.5%だった公定歩合は90年8月にかけて6.0%まで引き上げられた。

株価の暴落はあっという間でした。不動産価格も下落し、成功を収めていた8割ぐらいの先輩方は破産しました。融資を受けて買い増していた個人の不動産投資家の中でも、持ちこたえられず自殺した人も多かった。

――多くの不動産投資家が破綻していく中で、バブル崩壊を乗り切れた要因は何だったんでしょうか。

いち早く財務体質の改善に動いたことと、ワンルームを「価値ある場所」に買っていたことが大きかったと思います。

私はバブル崩壊後の20年間、日本の経済成長は止まると思いました。生き残るためには「スリム化なくして資産の拡大なし」と考え、繰り上げ返済で借金を減らし、金利を下げることで財務体質を進めた。早く行動を起こしたことで、他の人たちのように破産することを免れたんです。

――具体的にはどういう行動をしたんですか?

まず収益性の低い4物件を売却し、4350万円を返済資金に回しました。次に借入先金融機関の変更です。ワンルーム購入で使っていたノンバンクのローンを都市銀行に変更し、金利が大幅に下がったことで、これまで年間300万円ほどの持ち出しが発生していたのが、逆に黒字を生むようになったんです。家賃から経費を差し引いた金額内に月々の返済を収めたことが、バブル崩壊でも持ちこたえられた大きな要因です。

――すべてのローンを1つの都市銀行にまとめたんですね。

そうです。私はこれまで融資を否認されたことは1回もありません。融資を受けるポイントは、担当者と共同作業で、どれだけいい「作文」を作るかだと個人的には思っています。担当者が上司の支店長に対して説明するときに説得しやすいよう、想定される問題点について突き詰めて考えていくことを意識していました。

■「価値ある場所」

――他のワンルーム投資家と違い、インカムゲイン重視の投資法を実践していたということですね。

私の投資手法の一番のポイントは、基本的に一度買った不動産は所有し続ける、ということでした。バブルの頃は目先の値上がりにつられて、転売目的で不動産を買う投資家がほとんどでしたが、その結果、高値掴みをしてしまって苦しんだ人が多かった。

私はその頃から、不動産の値上がりよりも家賃収入を重視するべきだと思っていた。バブルの後退期に入っていく中で、いつまでも値上がり期待の投資は不可能だと。そこで、「価値ある場所」「価値ある建物」「価値ある管理システム」という3つを重視していました。

――マルコー物件は「価値ある場所」に立地していた。

まず重要なのは都心であることと、駅徒歩10分以内であることです。マルコーが出てきたのは「マーケティング」という発想もそれほどなかった時代。ワンルームマンションは他にもたくさんありましたが、どこに大学があって、どこに住みたがるか、結婚後も住み続けてもらえるか、など入居者のニーズを徹底的に分析するというマーケティングの思考から入っていったのがマルコーでした。

加えて私は、必ず市役所へ行って都市計画図をチェックしていました。これを見れば10年先、20年先、新しい道路や公園の構想、商業施設の建設計画など、将来性が客観的に分析できるわけです。これは非常に重要なことだと思っています。

――バブル崩壊後、所有物件の入居率や家賃はどうなったんでしょうか?

都内のワンルームの家賃はほとんど下がらず、入居率もほぼ100%でした。「価値ある場所」に買っていたメリットを享受できたのです。もともと私設年金のつもりで買っていて、売ることは全く考えていなかったから、バブルが崩壊しても慌てることはなかった。

――「価値ある管理システム」も重要ということですね。

マルコーは、管理を知らずしてマンション投資は成り立たないという考えだった。まず営業マンを管理部門へ回して、顧客の身になって管理システムが整えられる人間だけを営業に出していたんです。

60歳で定年になった後、残りの人生をどう生きるか。親から子へ、子から孫へずっと引き継げる立地かどうか。出口がどうのこうのとか、途中で売れ、とかいう会社とは付き合わなくていい、将来にわたって「価値ある管理システム」を作れる会社と付き合えと、セミナーなどでは伝えていました。現在でも古い3点ユニットのままで、リフォームもほとんどなく、ほぼ入居率100%を維持できているのは長期修繕計画の整った管理システムがあるからです。

――その後、繰り上げ返済は順調に進んでいったんですか?

家賃収入とサラリーマン収入、印税収入、青色申告赤字による還付収入などを駆使し、いくつかの物件のローンを一括返済。2000年までに借金を4億円から2億7000円まで減らしました。その後も計画的に返済を続け、2016年3月末、70歳の時に完済して無借金生活となり、毎月自由になるお金が100万円入ってきています。

■札幌のアパートで味わったどん底

――これまでの不動産投資を振り返ってみて、一番の失敗は何ですか?

バブルのピーク時、地方の高利回りアパートに投資したことです。1989年に札幌の中古木造アパート4棟を約1億5000万円で購入しました。まだ地価に割安感があり、利回りは9%。ある都市銀行に相談したところ、30年のオーバーローンで承認が下りたんです。

――何が問題だったんでしょうか。

まず、厳しい寒さで老朽化が進み、修繕費用が想像以上に発生したこと。購入から20年で3000万近くのリフォーム費用が掛かった一方で、家賃は3万2000円から1万9000円まで落ち込んだんです。

それから、変動金利でローンを組んでいたこと。借入金利は5.5%、月の返済は130万でしたが、90年から91年にかけて長期金利が8.7%に急上昇した。90年からの4年間は、毎月130万円の返済をしつつも、借入金が1円も減らなかったんです。これは恐怖以外の何物でもなかった。私と同じように、この時期に地方の高利回りアパートに投資した先輩方は自己破産した人がたくさんいました。

――入居はどうだったんですか?

空室がどんどん増えていって、89年の購入時は手取り年間家賃収入が1200万を見込んでいたのが、2011年には半分以下の474万円になり、利回りが9%から4%に転落したんです。その後、リフォームや家具・家電レンタルなど入居付けに全力を尽くし、繰り上げ返済を急いで完済できたわけですが、本当に苦労しました。

――その失敗から学んだ教訓は何ですか?

東京とそれ以外の差は埋められないということ。資産を作ろうと思うなら、まず「目をつぶって東京を買え」、つまり都心で駅徒歩10分以内のワンルームを狙うという考え方です。とにかく、甘い高利回り話に騙されず、本当に長期にわたって投資する価値があるのか研究する必要性を実感した経験でした。

■現金を持つ

――今後の不動産市況はどのようになっていくと予測しますか?

オリンピック後に金利が上がる可能性は高く、また選手村跡地が6000戸も格安で分譲されたら、都内の中古マンションの価格も下がる。都心部以外の物件は大幅に値下がりする可能性があるから、今のうちに手放して現金化した方がいいと個人的には思っています。2022年頃にはかなり下がると予想して、その時に勝負するつもりなら売りのチャンスがあるうちに現金を持っておく必要があると。

――平成バブル崩壊前と現在は似ている点があると感じますか?

長期金利に上昇圧力がかかっているのは似ている点で、同じような状況になる可能性はある。常に将来を予測して準備しておくこと。「鈍感は身を滅ぼす」というのはバブルで破綻した投資家たちを見て強く感じたことです。

人口もどんどん減っていく中で、買うなら都心だけに絞らないといけない。結局、バブル期に都心の物件に投資した人と地方に買った人の格差は大きい。私が持っている都内のワンルームはいまだに入居率ほぼ100%です。5年先、10年先を見て入居率が維持できるかどうか、しっかりした管理システムを持った会社かどうか、を見定めること。「価値ある場所」「価値ある建物」「価値ある管理システム」の3つさえ守っておけば、何があってもバタバタすることはないはずです。

――成功する投資家と失敗する投資家を分けるポイントは何だと思いますか?

成功する人は、まず情報を分析して仮説を立て、成功するための戦略を自分自身で考えて実行し、失敗したらその原因を徹底的に追及している。私も「反省第一主義」で、うまくいった時は「運が良かった」、うまくいかなかったときは「自分が悪かった」と考え、愚直、誠実、謙虚に動くことだけを意識していました。

最近、不動産会社に言われるがまま高値物件を掴んで八方塞がりになっている投資家の話を聞くことが多いですが、全て自己責任だと思います。始める前に何冊本を読んだのか、どれだけ銀行と交渉したのか、物件を何度チェックしに行ったか、不動産会社の信頼性をどこまで調べたか。自分の一生を左右する決断なのだから、人任せにせず自分で徹底的に分析するのは当然のことです。



バブル崩壊を乗り切った田中さんと、破綻への道を歩んだ他の投資家との大きな違いの一つは、物件購入時とその後の戦略にあった。20年後、30年後の未来を見通して「勝てる」物件に絞って購入し、安定した家賃収入を得ながら返済を続けた田中さん。物件単体での収益性を度外視して転売目的の購入を続け、返済に耐え切れず破綻した他の投資家たち。その「差」から学べる点は多い。
不動産投資の楽待 編集部

最終更新:1月10日(木)11時00分

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株式会社ファーストロジック

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