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「不動産投資家」目線で読み直すバブル経済史《楽待新聞》

7月21日(土)20時00分配信 不動産投資の楽待

(PHOTO: iStock.com/F3al2)
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歴史は繰り返すものだ。経済においても同様のことが言える。それならば、経済の動きや不動産投資の歴史を学べば、今後の投資活動の参考とできるはずだ。平成も終わろうとしている今こそ、改めて不動産投資の歴史を学び、来る時代につなげていきたい。

時代の転機に不動産投資市場はどのように動いていたのか。投資家たちは何を考え、どのように行動していたのか。リアルな声とともに振り返る。今回は、バブル期とその崩壊といった激動の時代に迫り、歴史を紐解く。

■1.個人投資家の誕生

「個人投資家」と呼ばれる存在は、いつごろ誕生したのだろうか。明治時代、「地租改正」により、それまで国のものだった土地を個人が所有できるようになった。不動産投資の先駆けは、江戸時代の裕福な商人が長屋を庶民に貸し出していたことだと言われているが、明治以降の「貸家」「賃貸住宅経営」と言えば、土地を所有する地主によるものを意味するようになる。

◎投資用ワンルームマンションが登場(1970年代~)

1962年、共用部、専有部、および土地の持ち分の権利関係などについて定めた「区分所有法」が制定されて以降、国内では複数回に渡ってマンションブームが起こるなど、一般の人々にも住居としてのマンションが定着していった。

一方、投資先としてのマンションはというと、1970年代にはいわゆる「投資用ワンルームマンション」をサラリーマンが購入して賃貸するという投資手法が生まれていたようだ。当時は、地主でない個人が1棟モノに投資するという事例はほとんどなく、不動産投資と言えば区分マンションが主流であった。

なかでも1976年ごろに竣工し、現在も稼働している賃貸物件「メゾン・ド・早稲田」と、同物件の開発・販売を手がけた「マルコー」は、投資用ワンルームマンションのさきがけとして有名である。また、このときすでに、オーナーに代わって管理業務を代行するというビジネスモデルも確立されていた。

こうしてマンション投資は注目を浴び、以降、多くの会社が投資用ワンルームマンションを展開していくことになる。

○証言.1 ―区分投資の生き字引・芦沢晃さん―
「『メゾン・ド・早稲田』は私の投資指標」

私の知る限り、マルコーが手がけた「メゾン・ド・早稲田」は日本で初めての投資用ワンルームマンションだと思います。当時私はまだ収益物件を所有していませんでしたが、この物件は昔の「下宿」をグレードアップしたようなものだと思いました。その頃流通していたファミリー向けの区分マンションとは違って、実に簡素なつくりで、「マッチ箱のような建築」というのが正直な感想でした。一方、立地条件は非常によく、「これは建物というより『便利な空間』を提供するビジネスとして確実に成功するだろう」とも感じていました。

売りに出された当時、一戸あたりの価格は1000万円程度だったと記憶しています。その後、90年のバブルで何倍にもなった後、流通価格は2000年頃に500万円程まで落ちましたがそれが底値で、今はまた1000万円前後まで上がっています。入居の状況もよく基本的に満室、家賃も当時からほとんど変わらない6万円前後で推移しています。この事実は、「収益還元価値」というものが実在するという証左になると言えるのではないでしょうか。この物件は、私にとって今も「投資の指標」になっています。

■2.バブル景気はこうして生まれた

1970年代半ばには登場していたワンルームマンション投資。とはいえこの頃はまだ、地主でない個人が不動産に投資することはまれであった。

しかしその10年後、「バブル景気」の到来により人々はこぞって不動産を買い漁ることになる。続いてはバブル景気の発端を、「プラザ合意」にまでさかのぼって見てみよう。

◎バブル景気の発端となった「プラザ合意」(1985年)

「プラザ合意」とは、1985年9月、米英独仏日の5カ国によって発表されたドル高是正のための合意である。その名称は、会議の会場となったアメリカ・ニューヨークの「プラザホテル」にちなむ。この合意の背景にあったのは、1980年代前半、アメリカ経済を悩ませていた巨額の財政赤字と貿易赤字。

アメリカは当時、「レーガノミクス」の名の下、軍事費の拡大と同時に大減税を推し進めており、これにより財政赤字が拡大。さらにインフレ抑制のために高金利政策を取ったことから、海外の投資マネーが流れ込んでドル高が進行、貿易赤字も膨らんでいた。

当時のアメリカにとって、貿易赤字の要因となるドル高の是正は急務。そしてそのためにアメリカが取った選択が、先進国による市場への協調介入(各国によるドル売り)であった。これを取り決めたのが「プラザ合意」である。プラザ合意後、たった1日で円・米ドルのレートは20円ほど下落し、以後、為替レートは安定化していった。

◎「公定歩合」引き下げで好況へ(1986年~)

プラザ合意の直後、今度は日本が急激な円高に見舞われ、輸出産業を柱としていた経済はいわゆる「円高不況」によって大打撃を受けた。以降、日本は輸出に頼らない内需主導型経済への転換を迫られることになる。

その第一歩として、日本銀行は1986年に「公定歩合」(民間の金融機関への融資に適用される基準金利)を5.0%から4.5%に引き下げることを決定。これを皮切りに、公定歩合はその後何度も引き下げられ、翌年には戦後最低の2.5%まで下がっていく。すると、銀行から民間への融資は一気に拡大。さらに政府が打ち出した経済対策も刺激となり、徐々に景気は上向いていく。後に「バブル」と称されるこの好況は、このときに始まっていた。

◎「土地神話」を背景に「財テク」がブームに(1986年~)

好景気や金利の引き下げにより、企業が設備投資などを活発化させた結果、金融機関はその資産規模を急拡大させていった。この頃から銀行は、不動産に多額の融資を出すようになる。背景にあったのは、当時の日本に強く根付いていた「土地神話」。国土の狭い日本では土地こそが最も貴重な財産であり、この先も値上がりを続けるのだという言説である。土地神話を信じた企業は次々と金を借りて不動産を買い漁り、銀行も次々と金を貸した。

こうした状況が重なり、商業地を中心として地価は値上がりを続けていく。不動産価格も急騰し、「朝4000万円で買った物件が、夕方には1億円で売れた」、「日本の土地すべての値段で、アメリカを4つ買える」などと言われた。

こうした状況から、当時の「不動産投資」は、家賃収入などのインカムゲインではなく、売買の差額によって利益を得るキャピタルゲインが主な収益源であった。これこそまさに「バブル崩壊における大きな失敗」につながるわけだが、土地神話を疑う者は少数派であった。

■企業が不動産を使った「財テク」に走る

土地の値上がりが続くと信じた多くの企業は、本来、内部留保に充てるべき資金まで不動産投資に費やすようになる。このように企業が余剰資金を本業以外に投資して運用益を得る手法は「財テク」と呼ばれ、もてはやされた。

財テクブームは、やがて個人の間でも流行することとなる。1987年2月、NTTが新規上場すると、売り出し価格は1株119万7000円という高値にもかかわらず、個人投資家がうまみを求めて群がった。これまで投資の「と」の字もなかったような主婦らにも、ブームは広がったと言われている。

○Column「首都改造計画」と「地上げ屋」
1985年5月、当時の国土庁があるレポートを提出した。「首都改造計画」と呼ばれるこの文書が指摘していたのは、「東京のオフィスは、2000年までに合計5000ヘクタール、超高層ビルで250棟分必要となる」という内容。その真意は、「東京都心だけでなく、周辺都市でも開発を進めて都心のオフィス需要の受け皿を準備すべし」というものであった。つまり、行き過ぎた地価高騰の抑制が目的である。

しかし当時、このレポートは真逆の意味に捉えられてしまった。「オフィス供給に国のお墨付きが出た」。不動産会社やゼネコンは、血眼になって都心のオフィス用地確保に走ったのである。こうして地価はさらに高騰、やがて「地上げ屋」を生むことになった。

■3.バブル崩壊と不動産投資

その後も好況は続き、1989年12月には日経平均株価は過去最高の3万8957円44銭の値を付けた。ところが、年が明けた1990年に入ると急速に株価が下落、同年10月には2万円台を割り込む。このころすでに、バブル景気はほころび始めていた。

◎「総量規制」の適用(1990年~)

90年を境に株価は下落を始めていたものの、地価は下がらなかった。当時の土地神話も手伝って、「株価は落ちても地価は落ちない」と信じられていたという。

一方この頃、かねてからの異常な地価高騰から、暴力行為などで立ち退きを迫ったり、法外な値段の金銭をちらつかせたりしながら土地を売買する地上げが横行。さらに、地価高騰の余波は一般家庭にもおよび、マイホームを買うことが困難になるなど、さまざまな問題が浮き彫りになっていた。

そこで大蔵省は1990年3月、高騰を続けた不動産価格の鎮静化を図るため、ついに「総量規制」に踏み切る。不動産向け融資の伸び率を、総貸出の伸び率以下に抑えるよう、金融機関に自主規制を求めたのだ。その結果、不動産向けの融資は急激に引き締められ、融資を受けての不動産購入が困難に。結果、地価は1991年をピークに下落へと転じる。こうして土地神話はあっけなく崩壊した。

こうしてうたかたの好景気は一気に終焉へと向かう。業績が悪化し、銀行への返済もままらない企業も続出、前出のマルコーも1991年、会社更生法の適用を受けている(後にダイエーにより再建支援を受ける)。また、地価の高騰が続くと信じ、高額の借金をして土地を購入していた不動産会社は、売るに売れない「在庫」を抱えたまま次々と倒れていった。

○証言.2 ―バブル崩壊を生き抜いた投資家・加藤隆さん―
「朝買って、夕方に売る。そんな異常な時代でした」

私は28歳の頃、1986年から不動産経営を始めました。当時の物件は15平米ほどのワンルームマンションが多く、価格帯としては1200万円程度でした。しかし、時はバブルの真っ只中。似たような物件が1700万円、2000万円、2500万円と、価格帯がどんどん上がっていきます。当時は調達金利が高かったこともあり、キャッシュフローはマイナスとなるのが当たり前でした。それでも私は物件を買い進めていき、持ち出しも2万円、3万円、4万円、8万円と上がっていきます。

物件が高騰を続ける中、なぜ不動産投資を続けたのかというと、当時は「持ち出しは貯金のようなもので、ローンが終われば家賃はほとんどまるまる手残る」、言うなればマンション投資が年金代わりになると思っていたからです。家賃も不動産価格も上がる一方だったという背景もありました。

私が新規購入を控えた後も物件価格は相変わらず高騰を続け、1戸で4000万円、果ては新宿のワンルームマンションが1億円という異常な事態が続いていました。バブル景気のピーク時に買った人は、月の持ち出しが20万円ほどあったそうです。収支やキャッシュフローは度外視で、値上がり益を期待しての投資。物件の評価方法は収益還元法・積算評価法ではなく、取引事例比較法が主でした。

そしてバブルが崩壊。一時期1億円まで高騰した新宿のワンルームマンションも1000万円程度に大暴落します。しかし、借金の額は変わりません。融資も付かないため買う人もいませんし、値下がりで抵当権も抹消できず、売るに売れなかったのです。

◎バブル崩壊後のサラリーマン投資家ブーム

バブル崩壊から数年後、不動産価格の下落を受けて新たに投資を始める層も少なからず存在した。

1997年に発売された「週刊ダイヤモンド」には、「マンション投資や競売物件にサラリーマンが参加」という特集記事が掲載されている。投資用ワンルームマンションをはじめとして、多くのサラリーマン投資家の関心がじわりと高まっているという内容だ。実質利回りで5%前後が平均的だったという。また、個人が競売で中古物件を購入し、賃貸に出すというケースも紹介されている。

■では、私たちは歴史から何を学ぶべきか?

ここまで1970年代からバブル崩壊までの動きを大まかに振り返ってきた。では、私たちはこうした過去の出来事から何を学び、この先どう生かすべきなのか。

投資家の芦沢晃さんは「実体経済のベースは、一般大衆が手にする給料であることを忘れてはならない」と説く。

「実体経済が自然の摂理に添うとすれば、バブル期の地価高騰は明らかにおかしいものでした。それはなぜか。当時、私のサラリーマンとしての年収は500万円ほどでしたが、それに対して新築物件1戸の相場が8000万円や1億円というのはあまりにも異常だったからです。そもそも経済のベースは、労働者が得る給料です。それを考えれば、バブル期の地価高騰は自然なものとは考えられず、したがっていつまでも続くものではないと考えることができるのです」

過去に目を向けると、さまざまな出来事を機に市況が変化し、それに伴って新たな投資手法やスキームが生み出されてきた。こうした環境の変化は予測が難しいものだが、普遍的な考え方に基づく確固たる目線を持っていれば、環境の変化に振り回されることもない。

そのために芦沢さんが重視するのは「それぞれの立場に立って考えてみる」ことだと言う。自分が新築マンションの販売業者だったら? 自分が入居者だったら? というように、1つの物件をとりまく様々な人たちの立場に立ってみるというのだ。

「歴史を振り返り、当時の投資の戦場に自分を立たせてみるのです。私たち投資家は、どうしてもお金に目がくらんで自分の立場だけでものを考えがちです。でも、例えば自分が入居者だったら、3000万のワンルームに10万円の賃料を払うか? と考えてみます。立地にもよりますが、かなり厳しいでしょう。さらに言えば、その想定家賃でこの額のローンを抱えるのは妥当か? ということも考えてみるべきです」

同様に、自分の「投資家としての立ち位置」を明確にすることも必要だと芦沢さんは話す。「レバレッジをフル活用し、スピード重視で資産規模を拡大するタイプなら、融資の動向を注視すべきです。逆にインカムゲインを主な収益源と考えるタイプなら、融資だけでなくお客さんである賃借人が潤っているかどうか、つまり一般の消費者視点で景気を判断しなければうまくいきません」



バブル崩壊によって土地神話は過去のものとなり、「地価は下がるもの」という今では当然のことが改めて認識されることとなった。不動産投資においては、キャピタルゲインよりもインカムゲイン、取引事例比較法よりも収益還元法に重きが置かれるようになる。

そして日本はバブル崩壊によって巨額の不良債権を抱え、後に「失われた20年」と形容されるように、その処理に莫大な年月を費やすこととなる。この間、リーマンショックなどの転機もたびたび訪れるが、これらについては、次の機会に取り上げていきたい。
不動産投資の楽待 編集部

最終更新:7月21日(土)20時00分

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不動産投資の楽待

株式会社ファーストロジック

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