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サッカーの英雄が大統領になった国の「食卓」

6月24日(日)11時00分配信 東洋経済オンライン

リベリアの首都モンロビアの郊外。アフリカの小さな市場にわずかな食料が並ぶ
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リベリアの首都モンロビアの郊外。アフリカの小さな市場にわずかな食料が並ぶ
サッカーのワールドカップで熱戦が続く。アフリカの小国リベリアは出場経験こそないが、国を率いる大統領はプロサッカーの元国際的スター選手だ。アフリカ最古の黒人独立国家。しかし、輝かしい歴史とは裏腹に、国民の半数近くが難民となった「忘れられた内戦」、戦争が終結したものの今度は約5000人が死亡した「エボラ出血熱の大流行」。これでもかと不幸が襲いかかる国である。そんな国の「食の風景」を現地よりレポートする。
■帰国して最初の食事はサツマイモの葉っぱ

 コートジボアールの国境を越えたバスは、夜を徹してジャングルの一本道を走っていた。

 「もうここはニンバね」

 私の隣の黒人女性に向かって、前の席のちょっと年上の黒人女性がわざわざ振り返って話した。声をかけられた女性は黙って頷いて外を見つめ、代わって反対隣の男が割り込む。

 「このあたりで親戚が殺された。友達もたくさん死んだ」

 堰を切ったように、まわりの座席から続々「殺戮の悲劇」が吹き出す。車窓からは闇しか見えないが、そこは長い長い内戦が始まるきっかけの場所なのだという。もう20数年前、ここからリベリア全土へと戦火は広がった。バスの乗客のほとんどは、そんな内戦から他国に逃れていた難民たちだ。戦争が終わった母国へ戻る20人ほどのリベリア人。ほかにガーナ人の学校の先生や、行商人だという謎のナイジェリア人もいた。
 ニンバを抜けて夜が明けると、バスは「飯を食え」と言わんばかりに、3~4軒の屋台が並ぶ小さな集落に停まった。なにかを口にするのは2日ぶりだ 。店にはきっとそれしかないのだろう、「ポテトリーフ」と呼ばれるものが差し出され、運転手たちが食う。サツマイモの葉と唐辛子、スパイスをグツグツに煮込んだものが、ぱさついたコメにぶっかけてあった。手で混ぜながら皿飯を食う。川の水を汲んできて飲む。

 「俺はいらん。もうここはリベリアだ。奴らは全員人殺し。毒が入ってるかもしれないから気をつけろ」
 ナイジェリア人はなにかを警戒し、食べずに離れて見ている。横ではやっと祖国に帰れたリベリア人たちが、一気にポテトリーフを平らげていた。

 難民バスはさらに一昼夜かかって首都モンロビアに到着した。荒んだ首都を歩くと、すぐに飯を食う若い男たちが目に入った。破壊されたビル跡の空き地。手に持った皿の上を見やれば、また、あの葉っぱの煮込みだった。

■「尻だし将軍」とともに食べたもの

 「違うな、これはキャッサバリーフ。うまいぞ」
 食べる若者の隣で、体じゅう泡だらけの男が言う。屋外のその廃墟は、彼らの食卓であり風呂場であり棲家だった、同じものを食べさせてもらうと、豆と少々のくず肉が混ざっていた。同じ芋の葉でもキャッサバはサツマイモより粘り気がある。

 「ニンバにはなん度も行った。俺はブライの部隊にいて、コマンダー(司令官)だったからな。俺はブライみたいになりたかった」

 まだ10代のザックはいわゆる元少年兵だ。彼がヒーロー扱いするジョシュア・ブライとは、ジャーナリストたちが「尻だし将軍」と名付けた軍人である。内戦中、全裸で戦闘を指揮し、狂ったように虐殺を繰り返した男。彼が率いた部隊では戦争孤児に訓練を施し、酒とドラックによって恐怖心と正気を失わせ、もっとも過酷な前線に向かわせた。
 ザックはコートジボアール国境近くの村の出身で、ずっと森の中で戦っていたという。初めて首都に来てからは自由に略奪し、銃を乱射した。酒もドラックも上官から支給された。兵士にならなければなにも与えられず、だれも食わせてくれなかった。

 「ブライは不死身だった。子どもの心臓を食ったからだってみんな言ってた。戦争中はなにか食ってもいつも吐いてたけど、ブライと同じものを食えば、彼と同じ力を持てると思った」

 目の前の少年がどれだけブライに近い存在で、どれほどの「コマンダー」かはわからない。ただ、「尻だし将軍」にあこがれ従うしかなかった孤児はまわりにいっぱいいたのだと、キャッサバリーフを食いながら元少年兵は饒舌に話し続けた。
 廃屋の若者たちは援助物資の横流しで日銭を得ていた。内戦中から国内には難民キャンプがあり、そうした周辺には国際機関より援助物資が入り込む。実は食糧を中心に一部は街の市場へも流れていた。だれかがコメや小麦を外へ持ち出して、それらを売って現金に換え、必要な野菜や肉を買う。物が不足する終戦後の国家では、援助物資と人々の胃袋から市場経済が復活していた。

 そんな商売の片棒を担いでいたのが、葉っぱ飯を食っていたザックたちだ。新しい仕事を見つけた“草食”男子は、もはやあこがれの存在もブライではなかった。
 「いまはジョージ・ウェアさ」

 ザックのあこがれの対象は「尻だし将軍」から「大統領」 に変わっていた。

 ジョージ・ウェアは元プロサッカー選手。母国の英雄だ。ACミランなど欧州でプレーし、バロンドール(欧州年間最優秀選手賞)を獲得した唯一のアフリカ出身選手。抜群の身体能力から繰り出す驚異的なプレーで「ファントム(怪人)」と称された。引退後の2005年、内戦が終わった母国で大統領選に出馬。後にノーベル平和賞を受けることになるエレン・ジョンソン・サーリーフに破れたが、若者や貧困層を中心に庶民から高い支持を得ていた。
 モンロビアの海沿いに広がるウエストポイント地区は、バラック住まいの貧しい人たちが集まるエリア。そして、落選していてもウェア人気は絶大だった。ザックはこの地区にあるキリスト教会に通っていた。日曜日の礼拝後、潮が引いた砂浜で仲間たちとサッカー遊びをするのが楽しみだと笑う。ザックが通う教会の牧師と話す機会があった。

 「彼らは、 ブライでも、ウェアでも、だれでもいいからそばにいてほしいのです。でも、生まれてすぐに親すらいなかった。いつもそばにいるのは、神だけなんです」
 神だけではない。生きるために、どんな形であっても食がいつも彼らのそばにあった。

■豊かな“うま味”満載のポテトリーフ

 廃屋のビルの中では、ボールを蹴って遊ぶ子どものかたわらで母親が煮炊きをしていた。職員が退避したままの日本大使館の建物には難民の人たちが住み着き、どこかで調達したコメを分けていた。

 港町ウエストポイントの貧しい信者の多くは漁師だった。彼らの家に行くと、ギニア湾で獲ったカツオなどの魚を燻製にしていた。商品としての保存食材にするためだが、ほぼ“鰹節”への加工と同じ。そして、この魚の燻製を粗く削って芋の葉っぱと煮込むポテトリーフがある。最貧国のスラムの人たちは知ってか知らずか、豊かな“うま味”満載の、日本人こそがうまいと叫ぶ逸品にそのポテトリーフは仕上がっていた。
 2014年のエボラ出血熱の流行時、そのウエストポイントはウイルスのまん延を防ぐという理由で一時封鎖された。しかしすぐに、「封鎖されて食料がない」と激しい抗議行動を起こしている。住民は疫病の恐怖と隣り合わせになりながら、食っていた。人々は、きっとあのうまいポテトリーフを食い続けていた。

 さてジョージ・ウェア。彼は再挑戦した昨年の大統領選に勝利し、今年1月、プロサッカー選手としては世界初の国家元首に就任した。ノーベル賞の大統領は最優先課題に「教育」を掲げていた。元サッカー選手はかつて、「国民に平和と食べものをもたらす」と選挙演説していたのを思い出した。
木村 聡 :写真家、フォトジャーナリスト

最終更新:6月24日(日)11時00分

東洋経済オンライン

 

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