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JR SKISKIも“バブル推し”? 本物のバブルはただの好景気と比にならない

1月21日(日)11時40分配信 THE PAGE

JR SKISKIの2017年度のポスター(撮影:志和浩司)
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JR SKISKIの2017年度のポスター(撮影:志和浩司)
 JR東日本のスキー旅行キャンペーン、JR SKISKI(JRスキースキー)は1991年から展開されているおなじみのキャンペーンだ。近年、若手女優をイメージキャラクターに起用して人気を集めてきたが、今回(2017年度)はなんとバブル時代の人気映画「私をスキーに連れてって」。

 羽振りの良かったあの時代を懐かしむような”バブル推し”ともいえる現象が、エンタメ業界を中心にこのところ目立つ。平野ノラやベッド・インなどバブルキャラが活躍、年末にはバブル期のファッションで荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」を踊る大阪府立登美丘高校ダンス部が郷ひろみとのコラボで紅白出演まで果たした。そんなタイミングだけに”JR SKISKIよ、お前もか?”と一瞬思ってしまったのだが、果たしてそのねらいはどこにあるのか。また、同作が生まれたバブル時代もあわせて振り返ってみたい。

1991年スタートのJR SKISKI 今回のキャンペーンは「バブル色」を狙ったわけではない?

 JR SKISKIは1991年にスタート、何度か中断期間もあるが、近年、とくに2012年度からは若手女優と人気アーティストの楽曲を組み合わせ、CMやポスターなどメディアミックスによる宣伝展開で都度、注目を集めてきた。12年度・本田翼、13年度・川口春奈(CMソング=SEKAI NO OWARI)、14年度・広瀬すず(CMソング=back number)、15年度・山本舞香と平祐奈(CMソング=MAN WITH A MISSION)、16年度・桜井日奈子(CMソング=[Alexandros])といったそうそうたるラインアップだ。さあ、2017年度は誰が選ばれるのか?と思いきや、前述のように「私をスキーに連れてって」を採用。なんとキャッチコピーは「私を新幹線でスキーに連れてって」。当時そのままの映画の一場面やビジュアルを活用したCMやポスターが話題を呼んでいる。
2016年度キャンペーンの桜井日奈子(2015年撮影:志和浩司)
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2016年度キャンペーンの桜井日奈子(2015年撮影:志和浩司)
 JR東日本広報部に取材すると、今回のキャンペーンについてはバブル色をねらったわけではなく、「1987年4月1日に発足した弊社JR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)がちょうど30周年を記念するプロモーションということで、やはり30年前、同じ87年に公開された映画『私をスキーに連れてって』を採用したものです」と作品起用の意図について明確な説明をもらった。一定の年齢以上の人であれば多くの人が見覚えありそうな同作のビジュアルの効果は絶大で、「お客様からも『懐かしい』といった声が多く届けられておりまして、非常に好評です」(同広報部)とのことだ。

 また、同作をリアルタイムで知らない若い世代にとっては、古さを感じさせない同作のビジュアルが新鮮に映っている部分もあるようだ。

 「私をスキーに連れてって」は、バブル前後から数々の流行を生み出した日本のクリエイターグループ、ホイチョイ・プロダクションズ製作の映画で、同作に続く「彼女が水着にきがえたら」(1989年)、「波の数だけ抱きしめて」(1991年)とあわせ「ホイチョイ3部作」と呼ばれいずれも大ヒットを記録した。作品としての重みや深みよりも全面的にヒットすることを意識したような、トレンディードラマを思わせるポップなテイストに、旧来の映画人、映画ファンには眉をひそめる人も少なくなかった。

 しかしその一方で、当時筆者が話を聞いた映画関係者の中には、「いま映画界にいる人間は遊んでいないんだよね。日活アクションの時代は1本映画を撮り終えれば銀座に飲みに繰り出したり、映画を作る側が遊びを知っていたんだ。だから面白い映画が作れた。ホイチョイは、言ってみればそのころの映画人のように遊びを知っている人たちが作っているんだろうね。だとすれば、かなわないのは当然だよ」と反省の弁を漏らす人もいたのを覚えている。ホイチョイ映画は、まさにバブルの”キラキラ感”ともいえる楽しげな雰囲気をまとっていたということだろう。そういう意味では、JR SKISKIの意図は別として、同作をイメージキャラクターに選んだ時点で結果的に今回のキャンペーンはある面バブル色をまとうことになったといえるのではないだろうか。

1986年から91年までの株式、不動産を中心とした資産の高騰、経済拡大期が「バブル期」

 一般的には、バブル景気は1985年9月にニューヨークのプラザホテルで行なわれた5G(5ヵ国蔵相会議)に端を発するといわれる。先進各国が為替レート安定化に関する合意を行った、いわゆる「プラザ合意」だ。その後、各国の協調介入がなされドル相場はいったん安定したが、国内では日銀の市場調節政策「高目放置」によって円高への動きが急速に進み、バブル経済へと突入していく。1986年から91年までの株式、不動産を中心とした資産の高騰、経済拡大期をバブル期と呼び、銀行が多額の融資を行いインフレを引き起こした。しかしバブルを膨らませた銀行融資も、1990年3月に当時の大蔵省が行政指導を行い、不動産業界を対象とする融資総量規制にストップがかかると、直ちに終焉を迎えた。

 ピークとされるのは、1989年12月に日経平均株価が3万8915円という高値をつけた辺り。87年から91年にかけて公開された「私をスキーに連れてって」をはじめとするホイチョイ3部作は、まさにバブルを象徴するような映画といえるのだ。

実際に肌で感じた「バブル」はもっと浮ついていた

1992年、バブルの余韻が漂うジュリアナ東京(写真:Fujifotos/アフロ)
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1992年、バブルの余韻が漂うジュリアナ東京(写真:Fujifotos/アフロ)
 私事で恐縮だが、バブル夜明け前ともいえる80年代半ば、筆者は当時収益トップクラスの某都市銀行で働いていた経験がある。20代の若者で、自分自身はさほどバブルの恩恵にあずかった実感があるわけではなかったものの、振り返ってみればやはり独特の体験をしたような気がする。街や生活のそこかしこにどこか浮ついたような雰囲気があった。

 銀行のロッカーには遊び用にDCブランドのソフトスーツを常備しておいて、終業時間になるなりランチ時に誘い合わせた同僚たちと着替えて、ディスコなど夜の遊び場へ出かけた。

 とくにファッションにこだわっていたわけでもないのに、シャツは1万円以下のものは買わなかったし、ネクタイは1カ月ローテーションしきれないぐらい持っていた。いや、自慢ではない。男性の同僚の間で、「そのネクタイどこの? いいじゃない」と、おしゃれ好きなOLのような会話が普通にかわされていて、そんな手前、ある程度格好をつけておかないと職場にいられないような雰囲気があったのだ。

 仕事帰りに友人と待ち合わせてスカッシュを楽しんだと思ったら、その友人から高価な男性化粧品とエステに通うことを勧められたり、なんてこともあった。

 自宅に帰れば頼んだ記憶のないクレジットカードが、いったいちゃんと与信審査しているのだろうか、一方的に届いて、使わない場合は破棄してくれ、と書いてあった。

 マンションを借りる際には、「保証人の書類はいつでもいいですから」と不動産屋にいわれた。

 残業も当たり前だったが、まだ急げば終電に間に合う程度の時刻に、上司からはタクシー会社に電話をかけるよう促され、4、5回呼び出し音が鳴ってもつながらなければハイヤーを呼んで帰宅するように指示された。

 「客が靴の裏をなめろといえば本当になめてでも預金を取ってこい」「この世には命よりも大事なものが一つだけある。それはカネだ」……まるで何かのテレビドラマのセリフのようだが、何の脚色もない、当時の上司から実際に聞いた言葉だ。耳にこびりついて離れない。

 やはりどこか、ボタンを掛け違えたような時代だったのかもしれない。しかし現在は、そんなバブル期の、ひたすらキラキラしたきらびやかな面、陽の部分だけが懐かしまれる対象になって、独り歩きしているようにも見える。美しい薔薇には棘があるというが、バブル崩壊後に設備投資と雇用と不良債権の3つの過剰がデメリットとして表面化するなど、実際には負の部分も多々あったはずなのだが……。

もしかして、今では「バブル」はファッションなのか?

地下セクシーアイドルのベッド・イン(2016年撮影:志和浩司)
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地下セクシーアイドルのベッド・イン(2016年撮影:志和浩司)
 いまやバブルはファッションになったのだろう。JRの駅構内に掲出された「私を新幹線でスキーに連れてって」のポスターを眺めながら、そんなふうに感じた。

 ちなみにJR東日本広報によると、来年度以降のキャンペーンについては内容は何も決まっていないそうだ。「若手女優を起用するのかどうかなど、まったく未定です。今後の検討次第でどうなるかはわかりません」とのことだった。

(取材・文・写真:志和浩司)

最終更新:10月1日(月)21時52分

THE PAGE

 

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