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東北・名古屋・大阪で愛された星野元監督。「上司としての姿」は時代によって変化していた?

1月18日(木)12時10分配信 投信1

写真:投信1 [トウシンワン]
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写真:投信1 [トウシンワン]
2018年初に報じられたプロ野球元監督の星野仙一氏逝去のニュースに大きな驚きと悲しみをもって接した方も多かったのではないかと思います。中日ドラゴンズ・阪神タイガース・東北楽天ゴールデンイーグルスという3つのプロ野球チーム(以下、中日・阪神・楽天)で監督を務め、多くのファンに愛された同氏の追悼番組も各地で放送されました。

「理想の上司」にもたびたび選出された同氏ですが、「上司像」という観点から見ると、中日・阪神・楽天、それぞれの時代で若干異なるイメージを抱かれた監督だったのではないでしょうか。

「監督」としての経歴も多彩な星野元監督

ご存じの方も多いと思いますが、一言で「監督」といっても、星野元監督のその経歴は非常に多彩です。先にも述べた通り、プロ野球では中日・阪神・楽天という3つのチームで監督を歴任しています。加えて、北京オリンピックの野球日本代表監督でもありました。これだけ多くのチームを率いてきたプロ野球監督経験者もあまりいないのではないでしょうか。

各地のローカル局で追悼番組が放送される

筆者は星野元監督逝去が報じられた直後の週末、名古屋に滞在していました。名古屋では土曜日の中日ドラゴンズ応援番組を星野元監督の追悼番組に変更し、さらに深夜にも別途追悼番組を放送。そして日曜日に移動した大阪でも、同様にローカル局の番組で星野元監督の追悼コーナーを設けており、2003年に阪神がリーグ優勝を果たした際のメンバーだった阪神・金本監督の姿を多くの番組で見かけました。

仙台で追悼番組が実施されたかどうかは確認できませんでしたが、1人の人物に対して多くのローカル局で追悼番組が作られるというのは、非常に珍しい状況だったのではないでしょうか。

阪神時代の星野監督が理想の上司?

「理想の上司」に何度か選出されたことのある星野元監督ですが、改めて追悼番組などを見ていると、あくまでも個人的な意見ではあるものの「阪神時代の星野監督が理想の上司ではないか?」との思いを強くしました。

というのも、「闘将」のイメージが強い中日監督時代は40代前半の血気盛んな頃。鉄拳制裁的な指導も多かったようで、星野元監督に見出された山本昌元投手が追悼番組で当時の思い出を語っていたのが印象に残りました。中日時代の星野元監督は「有能ではあるがついていくのが大変な上司」というイメージがあります。

次の阪神監督時代、星野元監督は阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導き、大阪を熱狂の渦に巻き込みます。この時代に監督としての手腕は円熟の域に達したのではないでしょうか。

大阪の追悼番組では、金本監督をはじめ大人な発言をされている方が多かったように感じられました。阪神時代は生え抜きの中日時代とは異なり、外部招聘の監督ということもあり、中日時代のような激しさは抑えられたことで「厳しいけれどできる上司」というイメージになったのかもしれません。

そして楽天監督時代は、中日時代とはまったく異なる「好々爺」のイメージが非常に印象に残っています。もちろん監督としての手腕をいかんなく発揮し、楽天を初の優勝、そして自身初の日本一にも導いています。

それぞれの球団における星野元監督を表すならば、中日時代=「切れ過ぎる副社長」、阪神時代=「できる社長」、楽天時代=「大活躍を経て就任した実力派会長」、とのイメージを勝手に持ってしまいます。

皆さんは星野元監督にどのようなイメージを持っておられますか?  どの時代が理想の上司像に近いですか?  もしかすると、世代や地域によっても随分イメージが異なるかもしれません。

まとめ

3球団でリーグ優勝を果たした星野元監督ですが、日本代表を率いた北京五輪では4位にとどまり、結果を残すことはできませんでした。

当時は「短期決戦に弱い」などと報じられたりもしましたが、3球団でリーグ優勝を果たした名監督(楽天の監督就任は北京五輪の後ですが)ではあっても、あらゆるシチュエーションに完璧に対応することはなかなか難しいのだということも感じさせられます。

18年ぶりに阪神タイガースを優勝に導き、大阪の地を熱狂させた2003年から今年で15年の月日が流れることになります。時の流れの速さを感じつつ、星野元監督のご冥福をお祈りしたいと思います。
市場 夏知

最終更新:1月18日(木)12時10分

投信1

 

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