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大正パニックで巨損、大震災で巨利 選挙違反で独房暮らし 杉道助(上)

10月20日(金)15時40分配信 THE PAGE

時事画報社「フォト(1961年11月1日号)」より
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時事画報社「フォト(1961年11月1日号)」より
 第2次世界大戦後の大阪・関西を代表する経済人、杉道助は綿糸などの繊維を扱う八木商店を営んでいました。戦争や関東大震災で事業の浮き沈みを体験したかと思えば、「経済と政治は表裏一体」と語る大学時代の先輩の政界進出を支援して、想定外の方向へ展開します。序盤から波乱に満ちた杉の投資人生を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。

第1次世界大戦後のバブル崩壊で会社が破綻

 大阪財界の巨頭、杉道助の生涯は波乱に富んでいる。最大のピンチは第1次世界大戦後の1920(大正9)年、バブル崩壊で会社が破綻に瀕したときであろう。

 そのころ杉は名門繊維商・八木商店の専務として采配をふるっていた。杉は日経新聞連載「私の履歴書」で述懐している。

 「ブームの時は物が上がる一方だから商売は楽だ。会社の上役はお召の衿などはいて自動車で乗り回し、われわれ若い者もかなりだらけていた。その膨れ上がった取引が戦争後の反動でグッとしぼんだのだからたまらない。特に大きな打撃を受けたのが綿糸布の取引だ」

 1コリ(400ポンド=181.4キロ)800円以上という空前の高値を呼んでいた糸価が一気に350円台にまで暴落、大阪三品取引所は立会停止に追い込まれた。横浜や神戸の貿易商がバタバタ倒産した。飛ぶ鳥を落とす勢いの横浜の茂木合名が破綻するものこの時だ。綿業界は先物取引が盛んで紡績、糸商、機屋の間で長期契約が行われていたが、あまりの大暴落で決済不能になり、業界始まって以来、初の総解合(※)が行われた。

 ※総解合(そうとけあい)市場で結ばれた売約定の全部が売買双方の合意のうえ、または取引所関係者多数の合意により半ば強制的に解かれること。こうした解合は非常時に行われるもので、1920(大正9)年春の恐慌時や同12年関東大震災時に行われたことがある。

 糸を売った紡績、それを買った機屋、その中間にある糸商(問屋)の三者が話し合い、建値(棒値と呼んだ)を決めて、先に約定した価格との差を出し、紡績はその6割を切り捨て、機屋は7割を切り捨てるという荒療治である。

「つまりその間に立つ問屋は機屋や貿易商からは3割の金を受け取り、紡績会社に4割の金を払うというもの。この差額1割の集積は大きかった。八木商店の1920(大正9)年度決算は大きい赤字を出し、八木家は私財100万円を投げ出し、会社の欠損を補った」(「杉道助の生涯」)

 それだけでは足りなかった。大量の書画、骨董を売り払い、従業員の人員整理も余儀なくされた。杉は5年前帝塚山に建てたばかりの自宅も売り払い、天下茶屋に家を借りたが、以後2、3年は借家を転々とした。

関東大震災下の不幸中の幸い

 パニックの傷跡がまだ癒やされない1923(大正12)年9月1日、関東大震災が勃発、八木商店の東京支店が焼失する。この時、杉は東海道線が不通のため名古屋から中央線を乗り継いで大宮にたどりつき、大宮から日本橋小網町まで歩き通した。

 不幸中の幸いだったのは越前堀の住友倉庫が助かったこと。大量の綿糸が羽が生えたように飛んで売れた。東京支店の前田春雄の証言。

 「そのうち現金が米びつ一杯になった。銀行が開いとらんから米びつの番せにゃならん。物騒なうわさが飛んでいるし客は次々訪ねてくるしで、夜もオチオチ寝れませんでした」

選挙運動のルール違反で逮捕

 この年、武藤山治鐘紡社長が政界進出を決断する。杉にとって武藤は慶応の大先輩であると同時に媒酌人でもある。

 武藤は鐘紡の株主総会の席上、「会社の基礎はようやくしっかりしてきたが、この繁栄も国家の庇護によるものだから、今後は国のためになる仕事がしたい」と株主の了解のもと、政界革新に乗り出す。

 「政治と経済は表裏一体である。経済人はもっと政治に関係しなければならぬという武藤さんの熱意が予想以上の反響を呼び、賛成者が非常に多く出た。そこで実業同志会を組織した。……各新聞ともこの運動を賞賛してくれ、翌1924(大正13)年の総選挙に打って出た結果、同志会から8名の当選者を出した」(私の履歴書)

 ところが、杉は岳父、八木与三郎とともに選挙違反に問われる。大阪経済界の大物30余人がいもづる式に逮捕された。武藤派では選挙運動を手伝ってくれた店員たちには日数に応じて日当と賞与を払ったり、戸別訪問の運動員にモーニングコートを作ってやったりしたことで摘発されたのだった。「他人をタダで使う法はない」という大阪商人らしい発想によるものだったが、選挙運動のルールに関する無知からくる法令違反で、杉は2カ月余り独房で暮らすことになる。=敬称略

【連載】投資家の美学<市場経済研究所・代表取締役 鍋島高明(なべしま・たかはる)> 

杉道助( 1884-1964 )の横顔
1884(明治17)年生まれ。山口県出身、萩中学から慶応大学理財科卒、久原鉱業所に入る。1910(同43)年大阪の綿糸商八木商店社長・八木与三郎の長女と結婚、1912(同45)年八木商店に入社、浪速紡績支配人、1917(大正6)年八木商店取締役、1918(同7)年八木商店専務取締役、1924(同13)年衆院選で武藤山治派の選挙違反で逮捕される。1938(昭和13)年八木商店社長、1946(同21)年大阪商工会議所会頭、1950(同25)年大阪化学繊維取引所理事長、1960(同35)年大阪商工会議所会頭を辞任、1964(同39)年死去。

最終更新:10月25日(水)5時51分

THE PAGE

 

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