ここから本文です

JR6社が一致団結、「日本周遊列車」という奇跡

8月13日(日)5時00分配信 東洋経済オンライン

富士山を借景に「欧州の芸術品」オリエント急行の客車が通過する奇跡の一瞬(筆者撮影)
拡大写真
富士山を借景に「欧州の芸術品」オリエント急行の客車が通過する奇跡の一瞬(筆者撮影)
 アガサ・クリスティ原作の映画『オリエント急行殺人事件』での華麗な車内の人間模様、『007 ロシアより愛をこめて』の車内での甘いラブシーンと、一転してロシアのスパイとの壮絶なアクションシーン、そして日本人には縁遠い「国際列車」という響き……。長年のあこがれでありつつも、一度は廃止されたオリエント急行。その列車が1982年5月、「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(VSOE)」としてロンドン─パリ─ベニス間に復活を成し遂げた。
 これには血が騒いだ。私はなんとか時間と費用を捻出してプラチナチケットといわれる乗車券を手に入れ、ロンドンからベニスへVSOEの旅人となった。オリエント急行は、それほど私の心をヒートアップさせる存在だったのである。

■JR東日本の元副社長が奔走

 当時、かつての豪華客車を復活させ走らせていたのは、VSOEのほかに「ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)」があった。こちらは貸し切りのツアー列車などに利用され、走行範囲も東ヨーロッパにまで及んでいた。だが、あのあこがれの列車がユーラシア大陸を横断し、日本にやってくるなどということは、まずありえないと思っていた。
 ところが国鉄民営化直後に、オリエント急行をなんとしても日本で走らせよう、という構想が、フジテレビの開局30周年記念イベントとして持ち上がったのである。

 当初、企画を立案したフジテレビ・沼田篤良氏の思いは、鉄道関係者や専門家の間ではことごとく否定されたという。日本とヨーロッパの鉄道には線路の幅をはじめ、さまざまな違いがあることから、海外の鉄道事情を少しでも知る者であれば、そんなことはまず不可能という答えを出してしまうのだ。
 だが、この壮大なロマンに耳を傾けた人物がいた。発足したばかりのJR東日本副社長・山之内秀一郎氏だ。山之内氏は国鉄時代に欧州勤務の経験を持ち、海外の鉄道事情に精通していたこともあり、実現させる方向で話が進められたのである。走らせる車両はフレキシブルな運用ができるNIOEの貸し切り列車。国内走行にあたっての技術的な諸問題は、山之内氏のひと声で次々と解決していった。バブル絶頂期の1988年初頭のことであった。
 そして1988年9月7日、東京行きの「オリエント急行」はフランス国鉄のSLに牽引され、パリ・リヨン駅を発車した。東ドイツ(当時)、ポーランド、ソ連(当時)、中国では、各国のSLが先頭に立った。同じ頃、日本でも国内走行に向けたSLの復活作業が急ピッチで進められていた。

 パリ─香港間1万4599kmを走破したオリエント急行は、9月26日に香港の九龍駅に到着。翌日から日本に向けて船積み作業が開始された。10月6日には山口県下松市の下松港に入港し、日立製作所笠戸工場で日本の線路に合わせた台車への交換など、国内運行に向けた準備を整えた。
 同月16日には山陽本線の下松─新下関間で試運転が行われ、翌17日、ついに「青きプリマドンナ」と呼ばれるオリエント急行が、初めて日本国内の線路上を、旅人を乗せて走り出した。車内ではヨーロッパとまったく同じサービスを提供しながら山陽本線・東海道本線を走破し、翌朝に東京へ。こうしてパリ─東京間1万5494kmの旅は幕を閉じた。この列車は、ギネスブックの「世界最長距離列車記録」の認定を受けている。

 東京に到着したオリエント急行は招待客を乗せての山手線一周走行試乗会などを終え、品川駅で一般公開された。詰めかけた見物客にはあこがれの豪華列車を見て感激する女性も多く、遠くヨーロッパの鉄道に思いを馳せていた。
■各社が会社の垣根を越えて協力

 奇跡の来日を果たしたオリエント急行はその後、国内各地を走行し、北海道から東北、関西、瀬戸大橋を渡り四国へ、さらに関門海峡を渡り九州へと全国の線路を駆け巡った。行く先々の駅では車両が公開され、すっかり人気者になった長身の名物車掌、ダニエル・グッフェラーさんも記念写真に引っ張りだこだった。二度目に東海道本線を走った際、私は富士山を背景にオリエント急行が走る奇跡の一瞬を撮影した。
 そして国内ツアーも大詰めを迎えた12月23日。この運転に間に合わせるべく復活したD51形蒸気機関車498号機がオリエント急行の先頭に連結され、汽笛一声、暮れなずむ上野駅を発車していった。

 鉄道関係者は今も「奇跡の走行で夢のようだった……」と語る。技術的難関の克服ももちろんだが、何よりもこの時代はJR誕生の直後だけあり、これまでになかったことを成し遂げようという、各社の垣根を越えた協力態勢が功を奏したと言っていいだろう。そして、来日したオリエント急行は、「トワイライトエクスプレス」など日本の豪華列車の登場にも大きな影響を与えたのである。
南 正時 :鉄道写真家

最終更新:8月13日(日)9時59分

東洋経済オンライン

 

【あわせて読みたい】

このカテゴリの前後のニュース

不動産投資コラム(楽待)

ヘッドライン