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世界に恐れられた「カミカゼ特攻隊」の精神的支柱

徳もあるから信じ込まされた「教育勅語」真の狙い

3月21日(火)6時10分配信 JBpress

米首都ワシントンのスティムソン・センターが所蔵する、1945年8月に投下された原爆のきのこ雲の写真〔AFPBB News〕
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米首都ワシントンのスティムソン・センターが所蔵する、1945年8月に投下された原爆のきのこ雲の写真〔AFPBB News〕
 教育勅語の問題を扱って、先週立て続けに2本、コラムを掲載する形となりました。

 読者からのリアクションなどを見つつ、これは補っておかねばならないな、と思ったのは、戦前の日本では教育勅語が、法律に優先する社会道徳規範として、擬似宗教教学として義務教育において国民に強制されてきた、現実の「行為」の側面です。

 この行為には舞台と道具立てがありました。

 「奉安殿」と「ご真影」です。

 こうした、かつては完全に日本人の常識であったディティールを全く知らずに、右傾化した議論であれ、左傾化した議論であれ、まともな考察は成立しないでしょう。

 前回も今回も、私が引くのはごくごく当たり前の史実だけで「偏見に満ちた」論説などでは全くないのは、普通に関連の基礎を修めた方なら誰もが首肯してくださると思います。

 すなわち「教育勅語」と「奉安殿」「ご真影」は3点で1セットにほかなりません。加えて言えば、これらへの「最敬礼」すなわち服装を正して最も深く頭を下げるという、江戸時代の大名行列よりどぎつい身体慣習の強制がなされていたこと。

 これらを見ずして「教育勅語」という文章だけ取り出しても、1890年代から1945年に至る(あるいはその影響は戦後まで残っているわけですが)日本に落としたこの文書の影響を斟酌することはできないでしょう。

子を戦場に送り出したい親がいるか?

 戦前、赤紙と呼ばれた召集令状が送られて来ると、青年男子は徴兵に応ずる義務があり、適所に出頭せねばなりませんでした。別段偏見でもなんでもなく、大正14年生まれの私の父も昭和19年10月に19歳で応召、満州に大日本帝国陸軍二等卒として出征しました。

 こういうとき、出征兵士を送る場面をドラマなどで目にすると思います。

 「なんとか君 バンザーイ」「天皇陛下 バンザーイ」「大日本帝国バンザーイ」

 という、千人針などを持たせたりするあの風景です。

 実際は、子供を戦地に送り出したくない親や家族、特に母親は決して少なくなかったはずです。しかし、世間体その他を憚って、

 「お国のために立派に戦って、死んできなさい」

 などと言わされる母親像は、ドラマでもしばしば見かけるでしょう。で、気丈夫に振る舞いながら影で泣き崩れるといったシーンがフィクションでは描かれます。

 事実は小説より奇なり、と言いますが、実際、日本全国でこの種の出来事があって、1945年に至る戦争に歯止めが利かなくなりました。

 しかしここで、あらゆる偏見を捨て、冷静に考えてみてください。

 1867年、明治維新以前に、国民の8割以上を占める農民、あるいは商人職人などの町人に、武器を取ってお国のために戦う習慣、そこで命を捨てることを是とするイデオロギーや信仰があったでしょうか? 

 ありません。そんなもの一切ありません。

 では1877年、西南戦争時点ではどうか。やはりありません。10年後の1887年、明治20年にもそういう考え方は日本全国に浸透していない。

 ところが1897年、明治30年になると、形勢が変わっていることに注意すべきでしょう。日本は明治27~28(1894~95)年にかけて「日清戦争」を戦い、これに勝利し、関連で動いた経済などがあり、世間は大いに変わりました。

 軍隊に出たことで実際に家計が助かった所帯も多く存在した。こうなると、世の中が本当に変質します。

 「死んでもラッパを口から話しませんでした」という木口小平一等卒など、多数の軍国美談が語られ、メディアはそれを喧伝し、政府も学校もその色彩一色に染まっていきます。

 実際に戦勝によって賠償金がもたらされ、八幡製鉄所や京都大学も建設されて、日本が近代重工業国家として大きく飛躍してゆく端緒が切り開かれた。こうなると本物になってしまいます。

 さらに1907年、明治40年を過ぎると、お国のために戦って名誉の戦死という概念は完全に日本に定着していきます。

 これに先立つ明治37~38年の日露戦争戦勝までの過程で、旅順戦で命を落とした「広瀬武夫中佐」を筆頭に「軍神」と呼ばれるような軍国美談の主人公が国民に広く知られるようになり、家族が1人「名誉の戦死」を遂げると遺族は社会的に称揚され、経済的にも潤うという、リアルな現実が動いてしまいます。

 こうした中で、国家神道教学を義務教育就学生に生活習慣として定着させたのが「奉安殿」ご真影への礼拝であり、「教育勅語」の奉読儀礼であったわけです。

崇拝儀礼の調教システム

 「教育勅語」と切っても切れない関係にある「ご真影」について簡単に触れておきましょう。きちんと扱う際には別の稿を準備したいと思います。

 亡くなられた哲学者の多木浩二さんに「天皇の肖像」(1988)という力作があります。

 明治新政府が、大半の日本国民にとって未知の存在であった「天皇」なるものをいかにして「日本人」に定着させていくか、その過程をつぶさに扱う「天皇の可視化」戦略の中で「御巡幸」さらには「ご真影」というメディア形式が整えられていく過程を扱われた仕事で、当時大学生だった私は大きな衝撃をもって岩波新書の初版を手にした記憶があります。

 その後、約30年の経験を通じて「ご真影」に関してもう1つ思うのは「ごしんねい(ご真影」という別の概念です。

 浄土真宗では、宗祖親鸞聖人の像や画像を「ごしんねい」と呼んで尊崇の対象とします。ごしんねいの収められたお堂は「御影堂」あるいは「影堂」などと呼ばれますが必ずしも真宗ばかりのことではなく、日本に仏教が到来してこの方、ずっと踏襲されてきたものです。

 例えば、奈良の唐招提寺には開山である鑑真和上の姿を刻んだ国宝の乾漆像が伝わりますが、これが収められているのも御影堂です。

 ただ、真宗の場合はこの宗祖崇拝が門徒大衆の末端まで行き届いたことに特徴があります。日頃、田畑を耕しあるいは漁労に勤しむごく普通の人々、大半は文字を読むことも書くこともできません。

 そんな中世近世の一般大衆の心に、文字や能書きを超えてダイレクトに働きかけた力の1つが「ご真影」でした。

 浄土真宗の説教には、蓮如が三井寺に預けたご真影を返してもらうために息子の首を切って差し出した堅田の漁師源右衛門・源兵衛親子の殉教譚など、凄まじい命がけの話が多数伝わっています。

 極度に堅固な運命共同体を形成した浄土真宗教団=「一向宗」は戦国大名を駆逐して加賀に自治コミューンを成立させ、近江、三河、越前、加賀、能登などに攻略不能な真宗王国を建設します。

 比叡山を焼き討ちにし、僧兵の首をなで斬りにした織田信長をもってして、和議を結ぶしか方途がなかったのが、蓮如の隠居所だった石山本願寺との戦争、石山合戦でした。

 何しろ、道端で手まりをついて遊んでいる女の子だと思っていたら、その子供が刺客で大将 が殺された、というほどに少年少女兵にまで「ジハード」が徹底しており、いかな信長といえどもこればかりはどうにもならなかったなどと宗門では伝えられる結束の強さ(こうした話題については、拙著「笑う親鸞」などをご参照いただければと思います)です。

 明治政府が大日本帝国憲法を発布して「臣民皆兵」を謳ったとき、これに反対する層が一番最初に憂慮したのが「民百姓に武器なぞ持たせたら、必ず一揆を起こして反乱になる」というリスクでした。

 この「陰謀公家」的な心配、実際、明治初年に三条実美や岩倉具視はリアルに「一揆」を懸念したと言います。

 これに対して、一揆を防ぐには一揆に如かず、と日本史上最強の一揆である「一向一揆」の人身収攬技術を吸収、転用したものとして、大日本帝国が導入した「ご真影」崇拝の制度を捉え直すことが可能だと思います。

 唐招提寺にもあった御影堂は一向宗門徒の「ごしんねい」崇拝という実績を経て明治期の学校に設えられた「奉安殿」へと受け継がれます。

 そこに納められた天皇皇后の写真が火事で燃えたというような際に校長が死んでお詫びするという、極端なメンタリティにも、真宗の積み重ねが強く影響しているように思われます。

 浄土真宗では開祖親鸞聖人の作として、編著とも言える「教行信証」が重視されますが、親鸞は同じ内容を手まりをつく少女にも理解できるように「今様」という歌に編みなおしています。

 これが「ご和讃」として伝えられるものです。また中興の祖・蓮如上人は各地の門徒に多数の手紙を出しており、これを御文章(本願寺派)御文(大谷派)として尊びます。

 近代の創成になる「国民皆兵」の「帝国臣民軍」に一向一揆の強烈さを備えさせるうえで、この「宗祖聖人の言葉」として機能した面を考えることができるのが「教育勅語」のもう1つの横顔ではないかと思うのです。

 この種の話を欧米人とすると、首肯してもらえることが少なくありません。

 すなわち、第2次世界大戦末期、確実に死ぬと分かっていながら突っ込んでくる「カミカゼ」は、理解を超えた狂信として連合軍には純然と恐怖の対象でしかなく、ついにはその制止のため、として広島長崎の原爆まで投下されてしまった。

 この理不尽な命がけの「滅私奉公」は、まさに教育勅語に記されている精神具現化の極限であるとともに、蓮如以来の一向宗、あの信長が往生し和議を結ぶしかなかった浄土真宗の強烈なメディア影響力とまさに同質の側面を指摘できるでしょう。

 「教育勅語」を幼稚園児に暗記暗誦させる、という一事を取り出して細かに検討すると、日本が中世から現在まで刻んできた様々な歴史の明暗、特に極端な暗部を含め、様々な要素がくっきりと浮き彫りになってきます。

 これら、何一つ偏ったものの見方ではなく、各々の専門の観点からは常識とされる内容を書き綴ってきただけに過ぎません。

 加賀一向一揆や石山合戦で恐れられ、第2次大戦末期に諸外国から恐怖されたのと同様の狂信的な自己犠牲、自爆攻撃にすら直結する本質のすべてが、あの短い文の中に洩れなく記されている。

 「教育勅語にも良い面がある」というのは、ナチスの政策にも福祉はあったと言うのと同じで、そもそもの土台が全く分かっていない頓珍漢な欠伸のようなものと思うべきです。
筆者:伊東 乾

最終更新:3月21日(火)6時10分

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