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幼児に教育勅語を暗唱させる時代錯誤と大問題

親孝行、兄弟仲よく・・・に目を奪われ民主主義を置き忘れていいのか

3月17日(金)7時30分配信 JBpress

衆院予算委員会に出席した安倍晋三首相〔AFPBB News〕
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衆院予算委員会に出席した安倍晋三首相〔AFPBB News〕
 前回のコラムを入稿してからまる1週間以上間が開いてしまいました。この間、週末は秩父でのフィールドワークなど、本稿とも関係のある予定が詰まっていました。

 お詫びとともに一部をちらっとご紹介しますと・・・、

 3月12日の夕刻には秩父市下久那地区に長年伝わる「じゃらんぽん祭り」というすばらしいお祭り・・・「葬式祭り」を拝見してきました。

 生きた人間が頭に三角の布をつけて棺おけに入り、偽坊主役の地域の人が即興で出鱈目のお経を読み、死人役の主役は一升瓶で大酒呑み。

 「葬儀」が終わると近くの諏訪神社まで、死人役も歩いて棺おけを運び、そこで神社に遺骸を奉納、棺おけのふたが閉まります。それを改めて開けると死から再生、めでたく春の祭りという大きな枠組み。

 「祭儀」というものの本質だけを抉り出したような手作りのすばらしい祭礼、じゃらんぽんというのは「生き葬式」に際して鳴らされる鐘や仏具のシンバル、太鼓の音から名づけられたものと思われます。

 YouTubeに動画が上がっていたのでリンクしておきます。2011年3月、東日本大震災直後の「じゃらんぽん」での黙祷の光景には、等身大の祈りとして深く心打たれました。

 こうした祭礼のフィールドワークは数年準備してから最初の稿を公にするのが常ですので、今年初めて伺った「じゃらんぽん祭り」の話題は2018年以降の書籍で展開したい考えです。

 「一粒の麦も死なずば・・・」という言葉があります。農産物、例えば稲は春に芽を出し夏に伸び、秋に収穫されたのちいったん冬にはすべてが枯死します。

 しかしその死の中から新しい生命が再生する、そういう原点に触れるような、暖かい空気に包まれた、本当にすばらしい「じゃらんぼん祭り」「春祭り」という祭礼がいかにして存在するかを、改めて教えていただく思いでした。

 かくのごとく、原点に帰って考えねばならない、と痛切に感じたのが、今回の主題である「教育勅語」にほかなりません。

相補う「欽定憲法」と「教育勅語」

 大阪で問題になっている小学校用地などをめぐる大醜聞事件、個別の出来事はジャーナリズムにお任せするとして、私が気になったのは「幼稚園児に教育勅語」など、実際に教え込まれている具体的な内容の数点です。

 2015年時点で報道された「ユニーク教育」ぶりを伝える記事が残っていましたので、リンクしておきます。疑惑の小学校設立に関する2年前時点での記載もしっかり残っていました。

 ここで、いまだ自ら判断する能力を持たない、無地の幼稚園児たちに教え込まれた「教育勅語」なるものが、いったいどういう背景でできた、どのような内容のものであるかを、客観的に振り返り、確認してみましょう。

 「教育ニ関スル勅語」は明治天皇の勅語として1890=明治23年10月30日に発布されました。

 まず同年11月29日から始まる第1回帝国議会の開会に先立って、その直前に発布されていることに注意しておきます。

 これはまた、前年にあたる1889(明治22)年2月11日「紀元節」の日に公布され、上記の第1回帝国議会開会と同日から施行された大日本帝国憲法を補う形で発布されていることにも注意しましょう。

 前回のコラムにも記した「明治14年の政変」のおり「国会開設の勅諭」が発せられました。

 これに続いて内閣制度や二院制の議会など西欧列強に模した近代国家の枠組みが整備される中で、上記の明治22年2月11日、今日では「建国記念の日」と名称が変わりましたが、この「紀元節」に際して君主である明治天皇から首相である黒田清隆に「下賜」されたのが「大日本帝国憲法」にほかなりません。

 典型的な「欽定憲法」つまり王様が臣下に対して下し授ける<基本法典>です。逆に言えば、マグナ・カルタに代表される「国民が王権の濫用を防止するために歯止めとして設ける基本法典」としての憲法では全くないという事実に注目しておく必要があります。

 端的に言えば、君主が臣民に命令する規範であって、国民を主権者とし法治で国家経営する今日大半の国連加盟国に見られる立憲君主制とは似ても似つかない、独裁的な体制を容易に実現し得るシステムであったことも、冷静に見ておく必要があります。

 善し悪しではなく、事実において、大日本帝国憲法は独裁政を生み出す可能性に原理的に開かれており、現実に「統帥権独立」問題を風穴として、軍部によるファシズム独裁体制を許容して、1945年8月15日に至る暴政と悲惨な末路に日本国を導く基本法典という性格を持つに至りました。

 そして、この欽定憲法が必ずしもカバーしない精神訓として国民に下賜強要されたのが「教育勅語」にほかなりません。

憲法に精神訓は含まれない

 大日本帝国憲法は、君主が臣下である国民=臣民に下げ賜った基本法典であることを、いま確認しました。その冒頭、「第1章 天皇」は

第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

 という条文に始まります。これはつまり、天皇自身が自分の家系が万世一系で国を統治すると宣言しているわけで、原理的に独裁に直結する典型になっています。続く18条以下は「第2章 臣民権利義務」とされ、あらゆる「臣民の権利」に先立って第20-21条に

第20条日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス第21条日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス として第1に「兵役」第2に「納税」の義務がある、と君主から一方的に規定されています。

 そのようにあらかじめ定められた「臣民」が、いかなる内心の道徳規範を持つべきであるか、善くも悪しくも大日本帝国憲法、つまり君主が定めた欽定憲法には記載がありません。

 欽定憲法では天皇自身が

第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

 俺は神聖な存在だから不可侵であるぞよ、と宣言するばかりで、臣下であると宣言され、憲法の定める義務として兵役が課され、兵隊として国のために働くべき臣民のメンタルを司る規範は記されていません。

 それを補うべく、憲法が施行される直前に「大日本帝国臣民はかくのごとくあれ」という精神訓として、君主から下賜されたのが「教育勅語」でありました。

 少なくとも私の所属する大学(東京大学)では、理非の別なく権威を妄信したり、合理的方法的な懐疑の念をもって綿密に組み立てられた論証の手続きを経ない妄言の類を、入学試験の問題に課したり、学位審査の前提に置くと言ったことはありません。

 と言うかあり得ません。もしそのようなことがあれば、刑事事件として立件されるレベルの犯罪であると言わねばならないでしょう。

 親孝行、兄弟仲良く・・・といった「徳目」の羅列に目を奪われて、こうした本質を見忘れては、ことの本質を損ねます。

 教育勅語は明治天皇が作ったものでも何でもなく、明治10年代の支配層が様々な対立の中で議論し、元熊本藩士で儒学に通じた井上毅(いのうえこわし)元田永孚(もとだながざね)らが起草した「肥後モッコスのサムライ精神訓」、まさに封建遺制そのものというのが出自にほかなりません。

 思考停止を美徳と勘違いする子供を作るリスクに、警鐘を鳴らす必要を感じた次第です。
筆者:伊東 乾

最終更新:3月17日(金)11時20分

JBpress

 

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